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金刀比羅宮はこんびら信仰の総本宮で、
大物主神を主祭神とする別表神社。
江戸時代以前は金毘羅大権現として祀られ、
金毘羅参りが盛んにおこなわれて、
お伊勢参りに次ぐ人気であったという。
幕末の志士達もここに参拝しており、
吉田松陰、高杉晋作、坂本龍馬らも、
金刀比羅宮を訪れています。
「表参道入口」。
宿は参道近く。これよりこんぴら参り開始。
門前町にはお土産、うどん、スイーツ等、
色々な店舗が並びます。
まっすぐ行かずに少し寄り道。
参道より南の路地に入ります。
「旧松里庵」。
侠客日柳燕石の子分半助が営んだ料亭跡で、
燕石に匿われていた高杉晋作を捕縛する為、
捕吏はここに踏み込みますが、
晋作は用意されていた抜け穴から脱出し、
そのまま長州に逃げたとされています。
※現在は民家のようです。
旧松里庵を拝見し参道へ戻る。
「敷島館(旧芳橘楼)」。
参道沿いにある立派な温泉旅館で、
元々は余島屋という旅籠でしたが、
頼山陽が芳橘楼と命名したという。
坂本龍馬は剣術修行から帰郷する際、
この芳橘楼に宿泊した記録があり、
晋作も燕石に匿われた際に、
門前町周辺を転々としたようで、
芳橘楼にも潜伏したとのことです。
他に桂小五郎などもここに宿泊。
明治中期に建て直されて敷島館と改称。
2000年代には廃業しており、
取り壊されて駐車場となっていましたが、
去年再オープンしたようです。
晋作潜伏の情報を得ていた高松藩は、
捕吏を何度も踏み込ませていますが、
周辺の宿は殆ど燕石の息が掛かっており、
捕まえられることはありませんでした。
門前町を抜けると、
7785段の石段のはじまり。
みよちゃんは嫁さんと先へ進み、
僕はゆきちゃんを抱えている為、
自分のペースでゆっくり登ります。
みよちゃんと嫁さんはどんどん進む。
既に視界から見えなくなりました。
13㎏超えの幼児を抱えて登るのは、
思ったよりもキツイ・・・。
「大門」。
二層入母屋造瓦葺の門で、
ここより先が金刀比羅宮の境内。
慶安2年(1650)に、
高松藩主松平頼重が寄進したもの。
この大門までで365段です。
2人はここで待っていてくれました。
「五人百姓」。
傘の下で飴を売る出店がありました。
これは五人百姓と云って、
境内で商売する事を許された5軒の飴屋で、
こんぴら名物の加美代飴を売っています。
みよちゃんとゆきちゃんは試食を貰い、
嫁さんもお土産として買いました。
これより金刀比羅宮の境内ですが、
既に疲労困憊・・・。
つづく。
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