小学生の頃に見ていた銭形平次のOPで、
砂で形作られた大きな銭の上で、
銭形平次が戦っていた記憶があります。
多分大川橋蔵vrと思いますが、
小学生の記憶なので定かではありません。
記憶が確かなら江戸の岡っ引きの平次が、
讃岐で悪人と戦ってるのは変ですね。
※野暮ですが・・。
まあそんなわけで、
せっかく四国旅行に来たのだから、
是非とも生で見てみたいと言ってみました。
「銭形砂絵」。
銭形砂絵は琴弾公園内にあり、
琴弾山より望むことが出来ます。
当日は少しモヤがかかっており、
綺麗な写真は撮れなかったのですが、
とりあえず生で見れて満足しました。
このような砂絵が造られた理由は諸説あり、
①寛永10年(1633)に丸亀藩藩主生駒高俊が、
領内を巡視することになった折、
土地の人々が歓迎の気持ちを現わすため、
白砂に鍬を入れ一夜にして作りあげた。
②元々は豊臣家の瓢箪紋が描かれていたが、
寛永10年に幕府巡検使を歓迎する為、
一夜で作り変えられた。
③嘉永7年、海防の為の砲台を設置する際、
丸亀藩主京極朗徹が巡視にした際に、
普請奉行が造らせた。
・・・などの説があります。
③ならば幕末の話ですが、
どれも説でしかなく、
現在も謎のままであるという。
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