河井継之助の塵壺⑤

つづき。
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6月27日。晴。
朝、①椋本を立ってに出る。
三重県亀山市 関宿跡
これは東海道
筆捨山を過ぎて三ッ子山を右に見て、
鈴鹿山を越えたときに小笠原公に逢う。
山を下ってもまた公の御供に逢うが、
バラバラに進むだけで駕籠に小姓もいない。
その他、海道に大名の往来数々あれど、
そのいちいちを覚えていないが、
松山公の行列は中々大勢であった。
桑名公は少なく省略されたものであった。
土山の入口には田村の社があり、
土山、水口などは悪しき所であった。
石部に宿泊。
※小笠原氏の大名家は数ありますが、
 その様子から1万石の安志藩でしょうか?
 松山公は大勢であったという事から、
 15万石の伊予松山藩の方でしょうね。
 久松松平家桑名藩(11万石)は、
 少なかったとのことです。


6月28日。晴。
朝立って草津に行く。
滋賀県草津市 草津宿跡
ここに中仙道の追分がある。
しばらく茶屋で休んで人通りを見る。
旅人の三分の二は中仙道を通るという。
矢橋に出て④大津に渡る。
瀬田の橋膳所城唐崎の松
石山寺も微かに見え、
前には三井寺が山上に見えた。
走井で休憩後、
日岡を越えて⑤京都三条へ至る。

ます屋に宿を取る。
※三条で御娘様御供雲助30人が泊まり、
 博打などを始めて眠れなかったようです。
 以後、7月3日まで滞在。


6月27日~28日の行程。

7月4日。朝大雨。晴。
朝雨が止んで出立。
次信、忠信の墓に参り、
泉涌寺に参拝。
京都府京都市 泉涌寺
東福寺に至り通天橋を見る。
京都府京都市 東福寺
諸々の神社を一覧し③桃山御殿跡、
黄檗山萬福寺へ行く。
宇治へ至り④平等院を見て舟に乗り、
伏見まで下り直夜船に乗って、
午前7時頃に大坂に達す。
※色々観光してから夜行で大坂へ。
 次信、忠信は源義経家臣の、

 佐藤継信忠信兄弟の事。
 以後、7月8日まで滞在。


7月4日の行程。

つづく。
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