滋賀県草津市 草津宿跡

草津宿東海道の52番目の宿場町で、
東海道中山道の合流地点でもあり、
大変な賑わいをみせた宿場町でした。

草津宿には2軒の本陣と同じく2軒の脇本陣
および72軒の旅籠があったとされます。
この他に旅人を迎える茶屋髪結床
草鞋などの旅道具を売る店の他、
問屋場貫目改所が置かれました。


草津宿」。
草津宿街道交流館前の地図より。
草津川を渡れば中山道で、
川沿いを進めば東海道となっています。
草津川は川底が周辺よりも高くなった川で、
現在は別の場所に川が掘られて廃川になり、
その旧川の土手が公園化されています。


追分道標」。
文化13年に飛脚仲間により寄付されたもの。
火袋(灯篭)付の立派なもので、
当時は銅製であったようです。


草津宿本陣」。
2軒の本陣ひとつ本陣田中七左衛門家で、
現存する本陣としては最大級のもの。
田中七左衛門は木材商を営んでいた為、
木屋本陣とも呼ばれていたという。
浅野長矩吉良上野介が宿泊したり、
佐土原藩藩主島津忠徹が宿泊中に死去したり、
土方歳三が泊まったり、
明治天皇が昼食をとったりと、
数々の歴史舞台となっている建物です。
訪問時は定休日でした。


脇本陣仙台屋茂八家跡」。
本陣であった建物の一部がリフォームされ、
ベーカリー&カフェ 脇本陣となっています。


本陣田中九蔵家跡」。
もう一つの本陣田中久蔵家の跡。
古そうですが本陣だった建物ではなく、
本陣廃業後に建物は解体されて、
知新学校(現草津小学校の前身)が建てられ、
後に学校の移転で現在の建物が建った模様。
篤姫徳川家茂が利用したようです。


古川酒造」。
宿場旺盛期から現存する唯一の酒蔵。
創業当時から造られている日本酒宗花や、
天井川を醸造しています。


立木神社」。
草津宿の端(京都側)に鎮座する神社。
武甕槌命常陸国から大和国へ勧請の途中、
ここに立ち寄り柿の鞭を地面に刺し、
この木が生え付くならば吾永く
    大和国三笠の山に鎮まらん

と言ったとされ、柿の木が生成すると、
それを見た里人が社殿を建立したとされます。
境内には鹿の像があちこちにありましたが、
これは武甕槌命が白鹿に乗っていた事に由来。
旅の安全に御利益があるとされ、
参勤交代の諸大名がここを参拝し、
道中安全を祈願したとされます。

この境内にも追分道標がありました。

追分道標」。
冒頭の追分道標が設置される前の道標。
新しい道標が設置されてその役目を終え、
こちらに移築されたようです。


歌川広重 東海道五十三次 草津」。
名物の姥ヶ餅屋が描かれており、
大変繁盛しているようですし、
前面の駕籠屋も忙しそうですね。
姥ヶ餅・・食べたかったなぁ。

元宿場町とはいえ市内中心部ですので、
高層マンションなども経っています。
とはいえ宿場町の雰囲気を損なわぬように、
和風な感じに統一したりして悪くない。
もちろん多くの古い建物も残っており、
小さな発見があちこちにあったりする。
残念ながら関東メディア中心の現代において、
草津といえば群馬県草津温泉が頭に浮かぶ。
ですが当時日本最大のジャンクションで、
古来より多くの歴史の舞台になった場所。
温泉じゃない方の草津」として、
もう少し知名度があっても良いと思います。

■東海道の宿場町
■中山道の宿場町

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