愛知県豊橋市 吉田宿跡

吉田宿東海道の34番目の宿場で、
三河吉田藩の所領であったようです。
吉田城も近く城下町と宿場町が混在し、
本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠65軒と、
巨大な宿場であったという。


歌川広重 東海道五十三次 吉田」。
豊川豊橋が描かれています。
吉田城は修復中の様子。
そういえば先程訪問した吉田城も、
石垣を修復していました。


吉田宿跡」。
現在の吉田宿跡には古い建物は皆無。
愛知県の中核市中心部であり、
空襲も経験していますので、
これは仕方ないでしょう。
写真の札木町あたりが宿場の中心で、
最も活気があった場所とのこと。

吉田宿には飯盛女が多かった事が知られ、
吉田通れば二階から招く
 しかも鹿の子の振り袖が

と謡われる程であったようです。
この飯盛女とは宿場の私娼の事で、
貧農の子女が身売りされて、
給仕と称して春を売っていましたが、
食事はお粥雑炊しか与えられず、
常にお腹を空かしていたという。
彼女らは客の食べ残した飯を貰い、
日頃の飢えをしのいでいた為、
客へのご飯は大きく盛るようによそい、
なるべく多く残させるようにした為、
飯盛女と通称されるようになったとか。
吉田宿には百余名がいたようです。


吉田宿本陣跡」。
本陣清須屋与右衛門邸のあった場所。
東隣には本陣江戸屋新右衛門邸もあり、
二つの本陣が並んで建っていたようです。
現在は鰻料理店うなぎ 丸よとなっており、
店先に碑が建てられています。


吉田宿脇本陣跡」。
こちらは脇本陣の跡地。
吉田宿本陣跡の斜め向かい辺りで、
現在は駐車場になっていますが、
先程のうなぎ 丸よの駐車場のようです。

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