膳所城は天下人となった徳川家康が、
全国の諸大名に命じて行わせた天下普請で、
初の城郭普請として築城された城でした。
縄張りは築城の名手藤堂高虎によるもので、
本丸が琵琶湖に突出して天守が湖面に浮かぶ、
美しい城であったという。
関ケ原の前哨戦で破壊された大津城を廃し、
その戦禍を免れた建築物が転用されています。
※大津城の建築物は彦根城にも転用。
大津城本丸跡には大津代官所が設置され、
幕府蔵なども建てられました。
「本丸大手門(模擬再建)」。
膳所城本丸跡は膳所城跡公園として整備され、
大手門などが再現されていますが、
そこには殆ど遺構は見当たりません。
とはいえ城門が市内あちこちに移築され、
移築遺構はかなりの数があるようです。
本丸大手門も膳所神社の表門として現存し、
ここを真っ直ぐ西へ400m進んだ場所に、
その姿を残しています。
「本丸前の水堀」。
大手門左右には水堀がありますが、
これは当時のものではなく再建されたもの。
「本丸跡」。
築城当時は湖に面する部分が本丸で、
手前の陸側が二ノ丸でしたが、
寛文2年(1662)の大地震で城が倒壊した為、
本丸と二ノ丸を繋げて新たに本丸とし、
三ノ丸だった曲輪を二ノ丸としています。
本丸に4重4階の天守が建てられていましたが、
天守台跡なども全く残っていません。
「膳所城址」碑。
大手門を入ってすぐ前にある跡碑。
この後ろ側の土が盛り上がっていますが、
これも遺構ではないようです。
本丸から観る「近江大橋」。
昭和49年開通の琵琶湖を横断する道路橋。
平成25年に有料道路から無料開放となり、
気軽に渡れるようになりました。
湖岸に石垣らしい石が散らばっていますが、
これが当時の石垣の名残のようす。
「二ノ丸跡」。
本丸跡より見える城風の建物は、
大津市膳所浄水場の取水設備の建物で、
二ノ丸跡は浄水場となっています。
藩主居館である二ノ丸御殿が建てられており、
政庁として政治の中枢だった場所でした。
築城された膳所城は譜代戸田一西に与えられ、
3万石を持って膳所藩が成立。
琵琶湖シジミが関東のものより小さかった為、
入間川のシジミを移入して繁殖させており、
これを特産品として奨励しました。
※これは現代では生態系の破壊で怒られます。
一西は城下の巡見中に馬が暴れて落馬。
不運にもこの時に脇差が抜けて刺さり、
この傷がもとで死去してしまいます。
跡を継いだ長男戸田氏鉄は尼崎に加増転封し、
代わって本多康俊が入封。
康俊は大坂夏の陣で105の首級を挙げ、
1万石加増で膳所藩にはいったという。
次代本多俊次は5000石加増で西尾藩に転封し、
代わって菅沼定芳、石川忠総と入れ替わり、
忠総次代石川憲之が伊勢亀山藩に移されると、
再び俊次が7万石で加増転封され、
以後は康俊系本多家が廃藩まで、
13代ほど続きました。
幕末の膳所藩は京都に近い土地柄故か、
勤皇派が多く長州藩士らと親交してますが、
譜代藩故に佐幕派も当然存在しており、
両者の藩内抗争が続いていました。
幕府でも膳所藩の藩内抗争があやぶまれ、
京都守護職や新撰組が密偵を送っており、
これが膳所城事件に繋がります。
禁門の変を経て長州征伐が決定されると、
将軍徳川家茂自ら指揮をとることとなり、
その上洛で家茂が膳所城に宿泊する事が決定。
膳所藩では徳川秀忠以来の将軍宿泊であり、
藩を挙げて御殿の改修などを行っていました。
しかしその後に京都守護職松平容保より、
膳所藩士保田信解らが将軍暗殺を企てたとし、
膳所城宿泊の中止通達が届きます。
これに驚いた藩は安田ら勤皇派11名を捕縛。
予定通りの宿泊を嘆願するも叶わず、
将軍は厳戒態勢のままで膳所を通過しました。
面目を潰された膳所藩は11人を処刑。
この事件は膳所城事件と呼ばれています。
膳所藩は王政復古後に新政府に恭順。
桑名藩領の接収に先鋒として参加しており、
戊辰戦争でも北陸に藩兵507名を派遣し、
2名の戦死者を出しました。
明治3年に処刑された11名の名誉が回復し、
膳所十一烈士として祀られて遺族も復職。
佐幕派の藩士にも処分が為されています。
また膳所藩は廃城願を新政府に提出し、
膳所城を解体して天守以下の建物を売却。
新政府の打ち出した[帰農法]には、
士卒の9割がこれを受け入れたという。
※家禄返上で農業や商業に転職するならば、
一時金や土地を与えるという方針だった。
膳所城は湖畔に築かれた城であり、
琵琶湖の波の浸食に悩まされ続けますが、
東海道を通行する大名や旅人の目に触れる為、
絶えず城の補修を余儀なくされます。
これが膳所藩の財政を圧迫しており、
藩および藩士が共に苦しんでいた事が伺え、
帰農や廃城も仕方ないのかなとも思われます。
【膳所藩】
藩庁:膳所城
藩主家:本多彦八郎宗家
分類:7万石、譜代大名
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