つづき。
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安政6年7月9日。晴。
伊丹の酒屋は剣菱を始め大家あり。
1000石、2000石も一間にて造るという。
ナタニは不親切な宿の為、洗濯もできない。
昼前まで待って①大坂を出立。
十三川を渡り神崎、伊丹を過ぎて、
中山の観音に参る。②生瀬に宿泊。
※ナタニは意味かよくわかりませんが、
2日程竹式という宿屋に逗留しるので、
その事だと思います。
中山の観音は聖徳太子建立の中山寺の事。
安政6年7月10日。晴。
生瀬を立って③有馬へ。
昼前に着いて奥ノ坊に宿を取り、
五度入湯。夕方に鼓ヶ滝を見る。
※奥の坊は最近まで営業していましたが、
2013より休業中とのこと。
鼓ヶ滝は有馬温泉の名所のひとつ。
昭和13年の水害で滝が倒壊する前は、
水音が鼓のように響いていたという。
しかし5度も入湯って凄いですね。
安政6年7月11日。晴。
有馬は名高い湯治場。
家数は4~500もあるので栄えている。
朝2度入湯。午前10時頃に出立。
六甲山を越えて御影を脇に見て灘に出た。
右に摩耶山の観音を見て生田明神を参拝。
湊川の楠公の墓へ参り④兵庫に宿泊。
※楠木正成の墓への参拝は当時のお約束。
7月9日~11日の行程。
安政6年7月12日。終日風強雲。
①兵庫を出て築島を見て清盛の墓を訪ねる。
須麻寺を右に見て敦盛の墓に出て、
一の谷を通り舞子の浜に掛かる。
②明石に至り忠度の墓を見て人丸社に登る。
浜辺にでて松林を進み③高砂に宿泊。
※平家の墓3連発。
海岸線では松ばかり見ています。
安政6年7月12日。晴。
高砂は姫路領で家数も多く、
船着きなので賑やか。
朝立って松を見て、
船着きの様子を見に行き、
石の宝殿を右に見て、
兵庫県高砂市 石の宝殿
曽祢の天神を拝し松を見る。
兵庫県高砂市 曽根の松
播州は実に松の名所なり。
④姫路に入り遥かに天守を見る。
兵庫県姫路市 姫路宿跡
城下は実に良いところであった。
⑤正条に宿泊。
兵庫県たつの市 正條宿跡
※石の宝殿は生石神社にある御神体の巨石。
河井が見た曽祢の松は2代目で、
現在は5代目とのこと。
7月12日~13日の行程。
安政6年7月14日。
①正条を立って②赤穂へ廻る。
義士の寺あり。
兵庫県赤穂市 花岳寺/赤穂藩森家墓所
寺の横に公の墓をはじめ四十七士の墓あり。
少し行って塩場に出る。盛んなるものなり。
山を越え沢を下り終止山道。
備前路に入っても山道で堤が多い。
③片上に宿泊。
※赤穂といえば義士に塩。
河合は詳細を図入りで記載しています。
安政6年7月15日。晴。
片山を出て伊部を通る。
津山川に沿って歩き④岡山に達す。
岡山県岡山市 岡山宿跡
水が十分に引かれて干ばつは無いだろう。
⑤瀬尾に宿泊。
※岡山の水利に関心し淀の水車を思い出し、
自藩との違いや活用方法を考慮。
これが後に水腐地整備に役立てられます。
瀬尾は妹尾の事。
安政6年7月16日。大雨。間々晴。
由加山を見物して下ツ井に出て、
讃岐に渡ろうとしたが、
大雨の為に松山に向かう事にした。
瀬尾より右に吉備の社を見て板倉に出る。
岡山県岡山市 板倉宿跡
板倉より松山道は分かれ城下までは八里。
二里ばかりは平らだがあとは山道。
途中の休憩所で松山の藩札が随一と聞く。
少々遅くなったが盆の事で、
道中で野宿するのは嫌なので松山まで急ぐ。
午後8時頃に⑥松山に到着。
※松山では始めに武家宿[花屋]に宿泊し、
山田方谷門下の許可が下りてからは、
長瀬の方谷宅や御茶屋[水車]に宿泊。
以後9月18日まで松山に滞在しています。
7月14日~16日の行程。
つづく。
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