河井継之助は塵壺の中で、
「曽祢之天神を拝し松を見る」
と記しており、
曽根天満宮を参拝したようです。
「曽祢天満宮」。
菅原道真が大宰府へ向かう道中に、
伊保の湊から上陸して松を植えたとされ、
後に子の菅原淳茂がそこに天満宮を創建。
「曽根の松」。
道真が手植えした松は曽根の松と称され、
その木は御神木として敬われましたが、
羽柴秀吉の播州征伐の兵火で衰弱し、
寛政10年に枯死してしまいますが、
樹下に実生した二代の松は巨大に成長し、
国の天然記念物に指定されていました。
しかしその松も松喰虫の被害で枯死。
三代目、四代目の松は短命に終わり、
現在は五代目のようですが、
どれが五代目かよくわかりませんでした。
「古霊松(霊松殿)」。
初代の松は枯れてはいますが、
その幹は残されて祀られています。
中を覗くと巨大な幹にしめ縄がされていました。
これが菅原道真の植えた松との事。
河井継之助の見た曽根の松は、
時期的に二代目の松なのですが、
この初代も見物していると思われます。
石の宝殿と同じく、
シーボルトはこの松をスケッチ。
自著NIPPON第1冊に掲載されました。
■関連記事■
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河井の備中松山への道中日記。
・兵庫県高砂市 石の宝殿
河井は石の宝殿を右に見て進みました。