西国街道を横切る揖保川の東には、
正條宿という宿場町が設置されていました。
揖保川町正條周辺。緑の線が西国街道。
青でぼかした辺りが正條宿跡。
「正條宿跡」。
ちらほらと当時の建屋が残っており、
宿場町だった雰囲気は充分に感じられます。
往時は旅籠、問屋、馬借等180軒が並び、
市場も開かれていたという。
室津で上陸した人々も正條で合流し、
正條の渡しで足止めされる事のあった為、
大変に賑やかな宿場であったようですが、
休憩が多く宿泊はあまりなかったようです。
その為か宿所の棲み分けが行われており、
参勤交代の諸大名は上りの道では、
この正條宿を使わずに手前の片島宿で宿泊。
領国へ帰る下りのみ正條に泊りました。
※片島宿とは僅かな距離でした。
「本陣井口家跡」。
本陣を務めた井口市兵衛邸の跡。
建屋は取り壊されて民家となってますが、
石碑と門や塀が設置されています。
明治18年の行幸の際には、
明治天皇が井口邸で昼食を取っており、
明治天皇正條行在所及び、
明治天皇御駐輦趾の碑が建てられました。
「正條の渡し場跡」。
揖保川の畔にある標柱。
ここに正條の渡し場があったようで、
高瀬舟で向こう岸に渡っていたという。
負担の水位の時は2文ですが、
水位が上がると8文、16文と、
渡賃の変動があったようです。
■西国街道の宿場町
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