青原寺は中野区にある曹洞宗の寺院。
江戸時代には港区青山にあったようですが、
明治42年に現在の地に移転しています。
「本堂」。
太田道灌の師雲岡瞬徳禅師が開山し、
後に龍野藩3代脇坂安清の菩提寺となり、
以降は歴代の墓所となりました。… 続きを読む
東京都中野区 青原寺/龍野藩脇坂家墓所
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青原寺は中野区にある曹洞宗の寺院。
江戸時代には港区青山にあったようですが、
明治42年に現在の地に移転しています。
「本堂」。
太田道灌の師雲岡瞬徳禅師が開山し、
後に龍野藩3代脇坂安清の菩提寺となり、
以降は歴代の墓所となりました。… 続きを読む
鵤は推古天皇が聖徳太子に与えた荘園で、
太子が斑鳩宮から移住して、
政庁と寺院を建立した場所とされます。
その寺院が現在の斑鳩寺とされており、
七堂伽藍と坊庵を抱える大寺院でしたが、
戦国時代の戦乱で伽羅は焼失してしまい、
後に天台宗… 続きを読む
西国街道を横切る揖保川の東には、
正條宿という宿場町が設置されていました。
揖保川町正條周辺。緑の線が西国街道。
青でぼかした辺りが正條宿跡。
「正條宿跡」。
ちらほらと当時の建屋が残っており、
宿場町だった雰囲気は充分に感じられます。
往時は旅籠、問屋、馬借等180軒が並び、… 続きを読む
片島宿は正條宿と有年宿の間の宿場町。
龍野藩に管理されていたこの宿場には、
約80軒程の旅籠や茶屋等が、
街道沿いに立ち並んでいたという。
揖保川町原周辺。緑の線が西国街道。
青でぼかした辺りが片島宿跡。… 続きを読む
譜代藩は藩主の墓所が領内に無い事が多く、
龍野藩も同じく墓所は江戸だったのですが、
9代脇坂安宅と10代脇坂安斐の墓は、
龍野領内の小宅寺にあります。
「小宅寺」。
脇坂家の祈願寺。… 続きを読む
龍野藩は播磨国龍野周辺を領有した譜代藩。
藩主の脇坂家は元々外様大名でしたが、
願譜代から譜代大名となった家柄で、
歴代藩主からは老中も輩出しています。
「家老門」。
家老屋敷の門と伝えられる立派な門。
伝えられるという表現から、… 続きを読む