正龍寺は指宿市山川にあった臨済宗寺院で、
廃仏毀釈で廃寺となっています。
薩南学派の学問寺として栄えていたようで、
近世日本朱子学の祖藤原惺窩が、
明への渡航をする際に正龍寺に滞在し、
所蔵されていた大学章句を読み、
渡航を中止したとされる程の寺院でした。
「旧正龍寺跡墓石群」。
整備されて文化財となっている墓石群。
埋もれた墓石を発掘して並べられており、
その中には日本の年号の他に、
中華の年号が刻まれたものもあって、
これらは琉球様式であるとのこと。
「内田家関係墓石」。
内田強左衛門(右)の墓と、
内田見真(左)の墓。
強左衛門は西南戦争で西郷軍を支援し、
終戦後に捕縛されて獄死した人物。
見真の詳細は不明ですが、
墓石に生薬箱が刻まれている為、
山川菜園と関係が伺われるとのこと。
※山川薬園は資料が乏しく、
薩摩藩最古の薬園以外詳細は不明。
「河野覚兵衛家墓石群」。
山川の豪商河野覚兵衛家の墓所。
河野家は代々当主が覚兵衛を名乗り、
薩摩藩御用達として苗字帯刀を許され、
砂糖や琉球貿易で財を成した商人。
ここには初代から7代までの当主や、
その家族ら12基の五輪塔があります。
「琉球人鎮魂墓碑」。
山川で没した琉球人を慰霊しようと、
「琉球・山川港交流400周年」事業により、
平成21年に建立された墓碑。
山川湊には1000回近く使船が来航し、
遭難や客死した人は約500人ともされ、
琉球人墓地が多数あったようですが、
その殆どが撤去されていたようです。
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・鹿児島県指宿市 山川湊
貿易で栄えた薩摩藩の港。