岡山県岡山市 岡山宿跡

岡山宿西国街道17番目の宿場で、
岡山城の城下に置かれました。
宇喜多直家が岡山城に本拠を移し、
商人を呼び寄せて城下町が築かれ、
街道ルートを城下に移動させており、
直家の跡を継いだ宇喜多秀家も、
城の大改修と共に城下を整備。
現在の岡山の基礎を築いたとされ、
江戸時代には宿場が置かれました。


岡山市街周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが宿場のあった場所。
街道は無理やり城下を通っています。

岡山の夜。
同僚と夕食を済ませた後で別れ、
一人で宿場跡を歩いてみます。

表町商店街」。
岡山県下最大の繁華街で、
藩政時代の街道筋にあたります。
宿場は上之町中之町下之町に分かれ、
中之町に脇本陣があり、
下之町に本陣があったようですが、
跡碑や標柱、看板等は全く無し。
一通り歩いてはみましたが、
宿場に関するものは何もありません。


表町商店街を南下し、
サーカスドームのある十字路を西へ。
天井は放物アーチ型となっており、
サーカスの絵が描かれています。
日本最古のサーカス団木下サーカスは、
岡山市を拠点としており、
そのイメージで描かれているとのこと。


京橋」。
宇喜多家が街道のルート変更する際、
約8年の歳月を掛けて旭川京橋及び、
それに付随する中橋小橋を架橋。
街道を城下に持って来ることとなり、
これにより城下は水陸交通の要となって、
城下町の飛躍的な発展に繋がります。


京橋の橋脚」。
京橋の西詰より北に行くと、
復元された京橋の橋脚が建っています。
京橋は幾度も洪水で流出していますが、
これは平成3~4年の補修工事で、
旭川の河床で発見されたもの。
延宝9年(1681)の補修で設置され、
その後の洪水で川底に沈んだようです。

城下町にある宿場の扱いは酷いもので、
自治体は城や武家屋敷を推し、
宿場は無視されがちです。
これは岡山宿に限った事ではないですが、
もう少し目を向けて頂きたいですね。

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