根来寺は新義真言宗の総本山。
興教大師覚鑁が高野山内に一堂を建て、
伝法院と称したことがその始まりで、
鳥羽上皇によって篤く庇護されて、
後に大伝法院と密厳院を建立しました。
覚鑁は金剛峯寺座主に就任し、
宗祖の教義復興を目指しましたが、
山内の反対派と対立。
覚鑁は高野山を下りる事となり、
根来の豊福寺(根来寺)を拠点とし、
その末寺円明寺で入滅しています。
以後も大伝法院は高野山で続きましたが、
学頭の頼瑜が寺籍を根来に移転。
根来寺が大伝法院の本拠地と
その後は宗教都市として発展し、
やがては寺領72万石を持つに至り、
僧兵1万余(根来衆)をも擁す事となり、
僧兵による鉄砲隊が組織されました。
この根来衆の鉄砲隊は織田信長に協力し、
石山合戦に協力していましたが、
豊臣秀吉と対立して紀州征伐を招き、
多くの伽羅が焼かれるに至りました。
江戸時代になると紀州藩の庇護を受け、
ようやく復興を遂げる事となり、
現在に至っています。
駐車場に車を停めて根来寺へ。
大門や塔頭等もありますが、
今回は時間の関係上主要エリアのみ拝観。
「大伝法堂」。
根来寺の本堂。
文政10年(1827)に再建されたもので、
本尊は大日如来、金剛薩埵、尊勝仏頂。
国指定重要文化財。
「大塔(大毘廬遮那法界体性塔)」。
真言密教の教義を形で示したものとされ、
天文16年(1547)の建立という。
日本最大の木造多宝塔で、
紀州征伐の難を逃れたものですが、
その際の弾痕が基部にのこされています。
国宝。
「大師堂」。
宗祖空海を祀る大師堂。
こちらも紀州征伐の難を逃れたもの。
国指定重要文化財。
上記三棟のある場所から、
興教大師覚鑁の廟所へ。
長い参道両脇には歴代座主、長老の墓、
その他檀家の墓が並び、
最奥に奥の院があります。
「奥の院」。
興教大師覚鑁の廟所。
奥には巨大な円墳になっている模様。
根来寺で最も神聖な場所です。
「光明真言殿」。
文化元年(1804)の建立。
一般には光明殿と略称されています。
開山の興教大師覚鑁像を本尊とし、
左右に歴代紀州藩主や歴代座主の位牌、
信徒の位牌が祀られており、
日夜回向がなされているとのこと。
国指定重要文化財。
「行者堂(右)」、
「聖天堂(左)」。
役行者を祀る行者堂と、
聖天尊を祀る聖天堂。
双方共に国指定重要文化財で、
聖天堂が浮かぶ池は聖天池です。
本坊に入って名勝庭園へ。
「名草御殿と名勝庭園」。
紀州藩8代藩主徳川重倫が、
和歌山城にあった御殿を寄進したもの。
庭園は池泉式蓬莱庭園の池庭で、
江戸時代に作庭されたとのこと。
幕末の根来寺に関する事件は見当たらず、
平穏に宗教活動を行っていた模様。
勿論それがあるべき姿で、
それに越した事はありませんが、
攘夷祈願程度はしていたでしょうね。
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東寺真言宗の総本山。