東寺は東寺真言宗の総本山。
真言宗は弘法大師(空海)により開かれ、
金剛峯寺を修禅の道場として開創。
後に嵯峨天皇より勅賜された東寺を、
その根本道場としています。
寺の管理者である長者(東寺長者)は、
真言宗の最高位としての権威を持ち、
江戸時代には真言宗諸法度が出され、
幕府の監視下に置かれていますが、
長者は幕末まで勅任されたようです。
ちなみに東寺は教王護国寺とも呼ばれ、
金光明四天王教王護国寺秘密伝法院や、
弥勒八幡山総持普賢院の名称もあり、
現在の宗教法人名は教王護国寺とのこと。
どれが正しいやらよくわかりませんが、
東寺は一番古い名称のようで、
一般的ですので記事は東寺とします。
「南大門(右)」と「五重塔(左)」。
南大門は東寺の最大の大きさを誇る門で、
豊臣秀頼建立の三十三間堂の西大門を、
明治28年に移築したもので、
以前の門は明治元年に焼失しています。
国指定重要文化財。
五重塔は木造塔としては日本一の高さで、
4度の焼失で現在は5代目となっており、
徳川家光の寄進で再建されたもの。
国宝建築物です。
「金堂」。
諸堂の中で最初に建設されたのが金堂。
弘法大師に下賜された際には、
既に完成していたとされています。
創建当時の建物は文明18年(1486)に、
土一揆によって焼失しており、
現在の建物は豊臣秀頼が再建したもの。
こちらも国宝。
「講堂」。
金堂の背後に建つ講堂。
弘法太師が建設したもので、
金堂と同じく土一揆で焼失しますが、
その5年後に再建されました。
内部には立体曼荼羅が構成されており、
21体の仏像群が並べられています。
※国宝のオンパレードです。
講堂は重要文化財。
「食堂」。
講堂の後方に建つ食堂。
しょくどうではなくじきどうです。
9世紀末~10世紀初頭に建てられ、
初代の建物は慶長地震で倒壊しました。
長らく再建はされずに、
江戸時代になってやっと再建。
しかし昭和5年に火災で焼失しており、
現在の建物は昭和8年に再建されたもの。
慶応4年の鳥羽伏見の戦いでは、
薩摩藩が東寺を本営としており、
征討大将軍仁和寺宮嘉彰親王も着陣し、
錦旗が掲げられたという。
また西郷隆盛は戦況を見る為に、
五重塔に登ったとされています。
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