松原湾の奥部にある外ノ浦は、
北前船の西廻航路の寄港地として栄え、
風待ちや交易の為に多くの船が入港し、
多くの廻船問屋が軒を連ねていたという。
「外ノ浦」。
現在はのどかな漁村といった感じですが、
良港であったのはよくわかります。
この静かな港に多くの船が行き来し、
浜田藩の経済を支えていたのでしょう。
「會津屋八右衛門氏頌徳碑」。
外ノ浦入口付近に建つ頌徳碑。
會津屋は松原浦の廻船問屋で、
浜田藩の御用商を務めていたという。
八右衛門の父會津屋清助は、
阿呆丸と名付けられた巨船を仕立て、
大坂まで行き来して商売していましたが、
運悪く暴風雨の巻き込まれて破船。
漂流中に蘭船に救助されて、
蘭船と共に東南アジア各地を巡り、
3年後に浜田に戻りました。
八右衛門は父の話す海外事情を聞いて育ち、
後にその家業を相続。
海外への思いを募らせた八右衛門は、
財政難の浜田藩に密貿易を提案し、
鬱陵島(竹島)に渡って李氏朝鮮と貿易。
更に東南アジアにも足を延ばして、
巨額の富を藩にもたらしました。
しかしこれが幕府密偵に見つかり、
関与した藩勘定方橋本三兵衛と共に、
刑場の露と消えています。
竹島事件と呼ばれるこの騒動によって、
国家老、国年寄も切腹となり、
藩主家も懲罰的転封となってしまました。
しかしながら罪人である彼らの行為は、
浜田の地域経済を活性化させ、
藩と共に領民も富ませた事により、
地元では評価されているとのこと。
この碑は昭和10年の八右衛門百回忌に、
松原町自治協会が建立したもの。
「松原浦」。
八右衛門の碑の南側が松原浦。
こちらも外ノ浦と共に栄えており、
多くの船が入港していたようです。
■関連記事■
・島根県浜田市 松平周防守家墓所
藩主の墓の傍らにある岡田頼母の墓。
・島根県浜田市 橋本三兵衛墓所
竹島事件に関与した勘定方橋本三兵衛の墓。
・下関市豊北町 肥中湊
密貿易も行われたとされる港。
・島根県益田市 飯浦
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・福井県坂井市 三国湊
三津七湊。北陸の海の玄関口。