飯浦は石見国最西端の漁村集落で、
かつては津和野藩唯一の港でした。
益田市飯浦町周辺。
西は田万村に至る仏峠、
東の海岸線は人形鼻、
南は津和野城に至る傾成峠を控え、
北の日本海を含めて四方が難所でしたが、
高津湊完成までは唯一の港であった為、
藩の最重要地点であったとされます。
やがて物資の搬入出は高津湊が担い、
飯浦は漁業がメインとなっていますが、
長州藩との藩境近くの要地であった為、
幕末には遠見番所と武器蔵が置かれ、
海防を兼ねて役人が常駐しました。
「飯浦湊」。
砂利浜と漁港が並ぶ海岸。
現在は防波堤が築かれていますが、
当時は荒波に晒されていたのでしょう。
「飯浦の街並み」。
古い家屋が数多く残っており、
これを探して歩くだけでも楽しい。
明治初期の家数は173(農76/漁師93)、
人数729(農295/漁師421)、
漁船49隻、商船2隻であったという。
山陰の街並みは赤褐色の石州瓦が美しい。
「松島の磁石岩」。
飯浦漁港にある岩山が松島で、
現在は陸続きとなっていますが、
かつては島であったようです。
ここに強い磁力を持つ岩があったそうで、
現在は磁力が弱まってしまったとのこと。
落雷によって帯電していたとされ、
方位磁針を狂わす程であったという。
この松島から石垣防波堤が突き出てますが、
見た目から藩政時代のものと思われます。
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