島根県浜田市 橋本三兵衛墓所

烈婦松田察の墓の近くに、
浜田藩勘定方橋本三兵衛の墓があります。
三兵衛は竹島事件に関与した人物。


真 善 貞 道 〇 〇
 三 嶽 玄 要 信 〇
 慈鏡院實阿貞善大姉
 得 道 妙 脱 信 女
 春 山 玄 夢 童 子
」。
橋本三兵衛とその親族の墓。
敬川の端詰という家の三男に生まれ、
13歳で出家して京都の東福寺で修行し、
その途中で偏俗して帰郷してしまいます。
浜田では親戚の森田屋で世話になりますが、
どういうわけか家老岡田頼母に見出され、
藩の勘定方に抜擢されました。
当時の浜田藩は財政難で苦しんでおり、
※当時は越智松平家ではなく松井松平家
三兵衛は頼母や会津屋八右衛門と相談し、
外国との密貿易に乗り出します。
八右衛門は竹島を経由し李氏朝鮮と貿易。
更には東南アジアにも足を延ばして、
巨額の富を藩にもたらしました。
しかしこの貿易は幕府の密偵により発覚し、
主導した岡田頼母は切腹となり、
三兵衛は八衛門と共に江戸へ送られ、
鈴ヶ森刑場で斬首されています。
この墓は親族の建立した逆修墓で、
※中央の慈鏡院。
右側の真善貞道〇〇が三兵衛の戒名。

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