島根県浜田市 烈女松田察之墓

極楽寺徳川秀忠拝墓より、
更に後方にある粟島公園の一角に、
烈女松田さつの墓があります。


烈女松田察之墓」。
松田さつは長府藩士松田助八の娘で、
故あって助八は浪人となってしまい、
江戸で暮らすようになったという。
さつは浜田藩江戸屋敷に奉公に出て、
女中の岡本道の召使いとなります。
ある日、道が老女沢野の履物を、
間違えて履いてしまった事から、
沢野との争いが発生した挙げ句、
追い詰められた道は自害してしまいます。
さつはこれに激怒して沢野を刺し殺し、
出頭して自らも死のうとしますが、
浜田藩は正式な仇討ちと認定。
さつは道の実父岡本佐吾衛門の養女となり、
浜田藩士の神野某に嫁したという。
後に下総妙興寺に庵を結んで没したとか、
浜田で余生を過ごして亡くなったとか、
その晩年には諸説あるようです。
後に劇作家容楊黛はこの話を聞き、
脚色して浄瑠璃[加賀見山旧錦絵]を上演。
これが人々にウケて評判となり、
歌舞伎[鏡山旧錦絵]でも演じられました。
この立派な墓は後年建てられたもの。


烈女お初の碑」。
容楊黛は話を脚色しており、
沢野を岩藤、道を尾上、察をお初に変え、
時代も鎌倉時代にしています。
この為にさつはお初の名で知られており、
碑は昭和47年に建立。
題字は歌舞伎俳優7代目尾上梅幸の筆で、
側面に作家村上元三により、
鏡山事件の簡単な説明が刻まれています。

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