土々呂は延岡藩領に属す漁村で、
古くは櫛津村、土々呂村の2ヶ村でしたが、
正徳年間(1711-1716)に1つの村となりました。
以降は土々呂櫛津村や土々呂村と呼ばれ、
300余石の石高があったとされます。
土々呂湊の擁する漁村ながら、
藩の口番所も置かれていたようで、
出入りの船舶から口銀を徴収。
更に日向街道も通っていたので、
旅人が宿泊もしていたようです。
「土々呂漁港」。
リアス式海岸の天然の港で、
古くから漁業が営まれていたとされ、
水産業で発展してきた生産拠点漁港。
かつてはぶり類の水揚げが主でしたが、
現在は船引き網によるしらす漁と、
沿岸かつお一本釣り漁が主流のようです。
更に深海底引き網漁も行われ、
メヒカリ(アオメエソ)が水揚げされ、
しらすと共に名産品になっている模様。
街道筋には遺構は見当たらず。
ゆるやかに蛇行しているところが、
名残といったところでしょうか?
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