土々呂は延岡藩領に属す漁村で、
古くは櫛津村、土々呂村の2ヶ村でしたが、
正徳年間(1711-1716)に1つの村となりました。
以降は土々呂櫛津村や土々呂村と呼ばれ、
300余石の石高があったとされます。
土々呂湊の擁する漁村ながら、
藩の口番所も置かれていたようで、
出入りの船舶から口銀を徴収。… 続きを読む
宮崎県延岡市 土々呂湊
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土々呂は延岡藩領に属す漁村で、
古くは櫛津村、土々呂村の2ヶ村でしたが、
正徳年間(1711-1716)に1つの村となりました。
以降は土々呂櫛津村や土々呂村と呼ばれ、
300余石の石高があったとされます。
土々呂湊の擁する漁村ながら、
藩の口番所も置かれていたようで、
出入りの船舶から口銀を徴収。… 続きを読む
本東寺は延岡市にある日蓮宗寺院。
建武2年(1335)の創建とされており、
開基は修験者甲斐法喬隆覚で、
開山はその息子薩摩阿闍梨日叡という。
元々は行勝山にあったようですが、
領主であった土持氏により、
松尾城の鬼門寺として現地に移築。
延岡城… 続きを読む
延岡宿は日向街道の宿場で、
延岡城の城下に置かれていました。
延岡駅周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが延岡宿跡。
「延岡宿跡」。
一通り歩いてはみましたが、
何ら残ってはいないようです。
飲食店がある程度あるのが、
唯一の名残かもしれません。
■日向街道の宿場町
■関連記事■
・宮崎県延岡市 延岡城跡… 続きを読む
台雲寺は延岡市北小路にある曹洞宗寺院。
養老3年(719)に笑領和尚が金仙寺が創建し、
天正15年(1578)に懸領主高橋元種が、
※懸は延岡の旧地名。
萩(延岡市萩町)に移して西林寺と改め、
自らの菩提寺と定めました。
元種の改易後は衰退していましたが、… 続きを読む
今山八幡宮は天平勝宝2年(750)に、
宇佐八幡宮(宇佐神宮)より勧請され創建。
土持家、高橋家、有馬家、三浦家、
牧野家、内藤家と歴代領主がら崇敬され、
社領を与えられていました。
「今山八幡宮」。… 続きを読む
祐国寺は天正元年(1573)の創建で、
機道和尚により開山された曹洞宗寺院。
「本堂」。
詳しい由緒は不明。
このお寺に有馬直純の墓石があります。
「有馬直純之墓石」。
庭先に五輪塔の地輪がありますが、
何故ここにあるのかわかりません。… 続きを読む
長井は五ヶ瀬川の支流北川中流域にあり、
古代の西海道の頃より駅が置かれました。
江戸期は延岡藩領だったようです。
北川町長井周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが長井宿跡。
「長井宿跡」。
古くから街道の片側が住宅で、… 続きを読む