唐津宿は唐津城城下にあった宿場で、
唐津街道の終点でした。
松浦川西側周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが唐津宿跡。
東側より散策。
「船宮橋」。
松浦川を渡って東へ街道を進むと船宮橋。
この橋を渡った辺りから城下に入ります。
「水主町」。… 続きを読む
佐賀県唐津市 唐津宿跡
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唐津宿は唐津城城下にあった宿場で、
唐津街道の終点でした。
松浦川西側周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが唐津宿跡。
東側より散策。
「船宮橋」。
松浦川を渡って東へ街道を進むと船宮橋。
この橋を渡った辺りから城下に入ります。
「水主町」。… 続きを読む
小笠原藩大久保家の歴代墓所は、
京都の本禅寺及び小田原の大久寺、
世田谷の教学院にありますが、
2代当主である大久保忠職の墓碑が、
かつて領した唐津にあるらしいので、… 続きを読む
古河藩土井宗家は5代当主土井利益から、
8代当主土井利里まで唐津藩を領しており、
このうち7代当主土井利延の墓のみが、
元所領に残されています。
「土井大炊頭利延墓園」。
唐津市神田にある土井利延の墓所。
登っていくと右手に階段があり、
そこを登ると大きな墓所がありますが、
そこは利延の墓所ではありません。… 続きを読む
天王寺墓地にある大野右仲の墓。
※正確には谷中霊園ではありませんが、
寛永寺墓地、天王寺墓地も含め、
谷中霊園として記事にしています。
大野右仲といえば高杉晋作の友人ながら、
後に箱館新選組の隊士となっており、
土方歳三と共に戦った稀有な人物です。
「大野氏累代之墓… 続きを読む
龍光寺は文京区本駒込にある臨済宗寺院。
伊勢龍光寺25世虎伯大宣が幕命で出府し、
小笠原忠知や京極高和ら幕閣が開基となり、
寛永9年(1632)に創建されました。
都内唯一の臨済宗東福寺派寺院とのこと。
「本堂」。
本堂… 続きを読む
近松寺は鎌倉時代の創建とされ、
戦国時代に波多守親が再興していましたが、
兵火で伽羅を焼かれた後に、
唐津に入封した寺沢広高が再び再興し、
寺沢家の菩提寺となりました。
しかし次代寺沢堅高が島原の乱の責で自害。
寺沢家は断絶した為に寺運が衰退します。… 続きを読む
唐津の男装の女志士奥村五百子。
父了寛の連絡役として諸国を旅し、
深編笠に義経袴、草履履きに朱鞘の大小で、
大坂、長州、対馬… 続きを読む