唐津宿は唐津城城下にあった宿場で、
唐津街道の終点でした。
松浦川西側周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが唐津宿跡。
東側より散策。
「船宮橋」。
松浦川を渡って東へ街道を進むと船宮橋。
この橋を渡った辺りから城下に入ります。
「水主町」。
水主町は寺沢家時代に水軍の拠点として、
御手水主を集めて住まわせた町。
寺沢家改易後は御手水主の編成が解かれ、
日雇い的な立場となったようで、
その後は船頭や水夫の町となったという。
江戸時代後期には領内で石炭が産出され、
水主町の米屋吉井家と松本屋松本家が、
御用石炭問屋を請け負ったようです。
水主町を越えると恵比寿小路の四辻。
「大石町の石恵比寿像」。
四辻周辺は市で賑わった場所で、
海産物や農産物が集まりました。
この石恵比寿は福島屋新右衛門、
肴屋久吉、三宝屋弥七、
戎屋太七が世話人となり、
天保10年(1839)に建立されたもの。
「大石町」。
唐津商業の中心地であった町で、
その規模は110軒377人と最も多く、
兵庫屋利兵衛、福島屋新右衛門、
中道屋栄助等の有力商人が軒を連ね、
非常に賑わった場所だったという。
「リョーユーパン発祥地碑」。
街道沿いの駐車場にある発祥地碑。
リョーユーパンは九州最大の製パン企業で、
昭和25年にこの地で北村政男が、
唐津糧友製パン㈱を創業しました。
少しカーブした場所を越えると魚屋町。
「魚屋町」。
魚屋が集まったという魚屋町。
この町の名家である木屋山内家は、
名護屋城築城の際に豊臣秀吉の命で、
堺から来た木屋利右衛門の家で、
江戸時代を通じて隆盛しており、
分家含め五家があったという。
写真右側の旧家が東の木屋の建物。
「マルキ醤油」。
西の木屋として創業したマルキ醤油。
こちらが本家であったようで、
当主は代々山内小兵衛を名乗り、
往時は酒造業も営んでいましたが、
現在は醤油醸造のみのようです。
「札の辻橋」。
唐津街道の終点。
高札場があったとされます。
この橋を渡れば内町となり、
内町側に番所が設けられていました。
ここまでの外町は流通の拠点ですが、
内町は武家町に近い事から、
呉服や刀等の小売り店舗が集まり、
こちらも賑わっていたようです。
■唐津街道の宿場町
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