小笠原藩大久保家の歴代墓所は、
京都の本禅寺及び小田原の大久寺、
世田谷の教学院にありますが、
2代当主である大久保忠職の墓碑が、
かつて領した唐津にあるらしいので、
参拝しに行ってきました。
「肥前国唐津城主中大夫大久保君碑銘」。
大久保緑地にある大久保忠職の碑。
約2800字が刻まれており、
墓碑というよりは頌徳碑のような感じ。
これを墓碑とは呼び辛いのですが、
水鉢や花立もあるので墓碑の一種??
忠職は大久保忠隣嫡男大久保忠常の長男で、
と父の早世により家督を相続していますが、
政務は健在であった忠隣が担いました。
しかし慶長19年(1614)に忠隣が改易され、
近江国に流罪となってしまい、
これに連座して改易となっていますが、
忠職は徳川家康の曾孫である事や、
祖先の功績を考慮して存続が許され、
騎西藩2万石を与えられています。
その後に加納藩、明石藩を経て、
唐津藩に8万3000石で入封。
前藩主寺沢堅高の悪政を正す改革を行い、
唐津藩政の基礎を固めています。
忠職は江戸で死去しており、
遺骨は京都の本禅寺に埋葬。
この碑は三回忌に建てられたものという。
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