佐賀県唐津市 水野忠光墓所

佐賀県立唐津商業高校の南西方向の御岳山に、
水野家唐津藩3代藩主水野忠光の墓があります。
忠光は天保の改革の主導者水野忠邦の父で、
隠居後の文化11年(1814)に江戸で死去。
遺骸は歴代墓所である結城万松寺に埋葬され、
遺言によって唐津に[衣剣]が埋葬されました。


故唐津城主水野織部正諱忠光公之位」。
水野監物家10代当主及び、
唐津藩3代藩主水野忠光の墓。
水野家は徳川家康の母於大の方の実家で、
譜代大名として4家が幕末まで続きました。
※他に紀州藩付家老水野家がある。
忠光の水野家は家康の従弟水野忠元を祖とし、
忠元流水野家や水野監物家と呼ばれており、
幕末までに老中を4人も輩出。
特に徳川吉宗を支えた水野忠之や、
天保の改革の水野忠邦が著名です。
忠光は天明飢饉後の立て直しの為、
藩政改革に尽力したようですが、
目立った効果が挙げられてはおらず、
7年の治世の後に次男忠邦に家督を譲り、
文化11年(1814)に死去しています。
この墓碑は忠邦によって建てられていますが、
側面に刻まれる[徳照院叡獄宗像大居士]は、
忠光の父で忠邦の祖父水野忠鼎の法名。
これは忠邦が父と祖父の法名を間違え、
祖父の法名を刻ませてしまったとのこと。
※忠光の法名は[珍諦院殿寛豊是道大居士]。

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