①/②
つづき。
いよいよ月山の山麓に到着。
「月山」。
山頂部に本丸等の曲輪群が築かれ、
山腹には山中御殿が置かれていました。
「山中御殿跡」。
月山富田城の御殿が置かれた場所。
南側上段に城主の館が建てられ、
北側下段に付属の館があったとされます。
名称から山中鹿介と関係ありそうですが、
山の中にあるから山中御殿とのこと。
「七曲がり」。
山頂部への登城道。
道はジグザグになって登りますが、
その角は七つ以上ありました。
足に乳酸が溜まります。
「三ノ丸跡石垣」。
下から見えた石垣は三ノ丸跡のもの。
三ノ丸跡、二ノ丸跡、本丸跡と、
曲輪は一直線に伸びています。
「三ノ丸跡」。
石垣を登れば細長い曲輪となっており、
その奥の一段高い場所から二ノ丸になります。
「二ノ丸跡」。
東屋が建てられている二ノ丸跡。
こちらはそれ程広くありません。
発掘調査で建物跡や柱穴の跡、
備前焼の瓶等が発見されているようです。
「本丸跡」。
本丸も細長い曲輪。
堀切があって二ノ丸から直接は行けません。
昭和初期には高射砲陣地となっていたという。
「山中幸盛塔」。
明治44年に地元民によって建立された碑。
山中鹿介は第二次月山富田城の戦いで、
敵将高野監物、品川将員を一騎打ちで倒し、
夜討ちや計略等で散々毛利勢を苦しめました。
「明治 殉國郷士碑」。
碑銘からして幕末維新関連か?
それとも日新日露関係か?
調べてもよくわかりませんでした。
「勝日高守神社」。
本丸奥に鎮座する大国主命を祀る神社。
尼子家が城内に祀っていたもの。
南を向いていて正面から撮影出来ません。
関ヶ原の戦いの後に毛利家は減封され、
防長二国に所領を減らされた為、
堀尾忠氏に出雲国は与えられます。
忠氏は最初月山富田城を居城としますが、
平時の藩庁として不便であった為、
幕府の許可を得て松江城を築城。
松江城は次代堀尾忠晴の頃に完成し、
慶長16年(1611)に藩庁が移転しており、
月山富田城は廃城となっています。
●日本百名城
①/②
■関連記事■
・島根県安来市 毛利元秋墓所
月山富田城の城主だった毛利元秋の墓。
・島根県安来市 広瀬陣屋跡
広瀬藩松平家の陣屋跡。
・島根県安来市 城安寺/松平直諒墓所
広瀬藩主松田直諒の墓所。
