毛利元秋は毛利元就の五男で、
月山富田城の城将を勤めましたが、
天正13年(1585)に34歳で病死しており、
月山富田城下に埋葬。
元秋の家督は同母弟毛利元康が継ぎ、
この系譜が厚狭毛利家となります。
毛利元秋の墓所は月山冨田城の北東。
周辺の史跡には案内板が多く設置され、
意外と簡単に見つかりました。
こういうのは嬉しいですね。
「毛利元秋墓」。
墓所は廃寺となった宗松寺の跡地。
元秋は椙杜隆康に実子が無かった為、
隆康の養子となっています。
豊前大友家との戦いに参加しますが、
この隙を突いて尼子再興軍が出雲国に侵攻。
天野隆重が守る月山富田城が攻められた為、
総大将毛利輝元と共に救援に向かい、
尼子再興軍を打ち破りました。
元秋は月山富田城の城将を命じられ、
その際に椙杜家との養子縁組を解消。
羽柴秀吉が備中国に侵攻すると、
毛利家はその迎撃で兵を集めますが、
元秋は伯耆国の押さえとして残り、
月山富田城でにらみを利かせます。
しかし天正13年(1585)に病を得てしまい、
34歳の若さで死去してしまいました。
元秋には幼い千満丸がいましたが、
間もなく疱瘡で死去してしまった為、
元秋の弟末次元康が家督を相続。
天正14年(1586)に月山富田城に入城し、
元秋の権限を継承しています。
■関連記事■
・大阪府大阪市 天徳寺/毛利元康墓所他
元秋の弟毛利(末次)元康の墓所。
・山口県山陽小野田市 洞玄寺/厚狭毛利家墓所
厚狭毛利家の歴代当主墓所。
