母里藩は松江藩の支藩。
寛文6年(1666)に松江藩初代藩主松平直政が、
三男松平隆政が1万石を与えて立藩しました。
最初は蔵米支給の新田藩でしたが、
2代藩主松平直丘の時代に所領が確定。
母里陣屋が建てられて藩庁となりますが、
歴代藩主は江戸に定府していた為、
国家老が領地経営を担っていたようです。
「母里陣屋跡(伯太中学校)」。
母里陣屋跡は伯太中学校の敷地。
但し卯月川を越えた西側にあったとも。
どちらにせよ遺構は残ってません。
「母里藩々館跡」碑。
中学校敷地内にある跡碑。
「母里城下町」。
母里藩の城下町は往時の面影を残しており、
現在も古い建物が多く残っています。
初代隆政には継嗣が無かった為、
その死後は一時廃藩となりますが、
すぐに弟松平直丘への相続が認められます。
しかし直丘にも男子は出来ず、
麻生藩7代新庄直詮の六男松平直員が、
末期養子となって3代藩主に就任。
この直員は馬鹿殿様と称された暗君で、
領民の離散、家臣らの切腹、贅沢三昧と、
藩政を極限に混乱させたという。
4代松平直道の時代には御家騒動も勃発し、
5代松平直行の頃には財政は火の車で、
以後の代も慢性的な財政難でした。
8代松平直興の頃に財政再建に乗り出し、
新田開発や治水事業で成果を出し、
10代松平直哉は歴代で初めて領国入りし、
明治2年には母里藩知事に就任。
明治4年に母里藩は廃藩となっています。
【母里藩】
藩庁:母里陣屋
藩主家:隆政流越前松平家
分類:3万石、譜代大名(松江藩支藩、定府)
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