島根県松江市 松江城(再訪)①

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松江城に行ったのは8年前。
その記事も相当古いものですので、
今回機会がありましたので再訪しました。

関ヶ原の戦いの功により堀尾忠氏が、
隠岐及び出雲24万石を与えられ、
出雲守護職の居城月山富田城に入城。
しかし月山富田城は山城であり、
藩経営には不向きであった為、
宍道湖北側湖畔の亀田山に築城し、
輪郭連郭複合式平山城が完成します。
城下町も整備されて発展しますが、
堀尾家は2代で無嗣改易。
代わって小浜藩より京極忠高が入封し、
忠高が更に城と城下を発展させますが、
忠高が嗣子なく死去して断絶しました。
※後に忠高の弟京極高和が再興。
そして結城秀康の三男松平直政が、
信濃松本藩より18万6千石で転封。
これより松平家が江戸時代を通じ、
松江藩を治めています。
※松江藩の越前松平家は、
 雲州松平家と呼ばれています。

二之丸より散策。

大手木戸門跡」。
往時には木戸の門があったようで、
その中に入ると馬留跡
約46m四方の枡形の空間で、
井戸水路もありました。


松江城跡碑」。
明治43年建立の跡碑。
馬留跡の奥の大手門跡脇にあり、
雲州松平家13代松平直亮篆額により、
松江藩の歴史が刻まれています。

馬留跡から大手門跡を通り二ノ丸下の段へ。
大手門は巨大な櫓門であったとのこと。

二之丸下の段跡」。
米蔵が建てられていた二之丸下の段跡。
蓄えられた米は扶持米が主でしたが、
後に米蔵は造設されており、
多くの備蓄米が蓄えられたようです。
廃藩後は米蔵は取り壊されて、
運動場になっていたようで、
野球の試合も行われたという。


二之丸への入口」。
城の上部へ続く石段。
大手門を過ぎて左手にある為、
防御的には心許ない気がしますが、
藩政の中枢である御殿へ行くには、
それ程苦にはならないようです。
太平の世の城と言った感じでしょう。


二之丸跡」。
御殿の置かれていた二之丸跡。
敷地はそれ程広くないようですので、
いっそ二之丸下の段に御殿があった方が、
便利だし広かったのではないでしょうか?

松江城は天守を除く建物は払い下げられ、
その全てが撤去されていましたが、
二之丸の3つの櫓が再建されています。

太鼓櫓」。
二之丸北東角にある太鼓櫓
城内に時刻や号令を告げた太鼓が、
置かれていたとされています。


中櫓(御具足蔵)」。
二之丸東側中央にある中櫓
御具足蔵の別名から察するに、
武具等が保管されたと思われます。


南櫓(御召蔵)」。
二之丸南東角にある南櫓
この櫓だけが二階櫓となっており、
位置的に城下町が望めたようで、
御召蔵の別名から考えると、
藩主が城下を望んでいたのでしょう。

つづく。
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