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つづき。
「弾正丸跡」。
二ノ丸の南側に配された弾正丸跡。
名称は浅野長政の官位弾正少弼に由来し、
長政が登城時に詰めた曲輪だったとのこと。
「搦手口跡」。
弾正丸は搦手口と繋がっており、
大手口に対する東出丸的な曲輪だった模様。
きれいな桝形虎口となっています。
「遊撃丸跡」。
二ノ丸の北側にある遊撃丸跡。
遊撃部隊が詰めた曲輪かと思いきや、
明国講和使節の遊撃将軍沈惟敬が、
この曲輪に滞在したのが由来とのこと。
「天守石垣」。
遊撃丸跡から望む天守石垣。
金箔瓦の五層七階天守が聳えていたようで、
明国の沈惟敬にその威厳を示す為、
ここが滞在場所に選ばれたのでしょう。
さて、いよいよ本丸跡へ。
「本丸跡」。
二ノ丸跡と同等の広さを持つ本丸跡で、
秀吉が居住する本丸御殿が建てられた場所。
豪華絢爛な御殿だったようで、
茶室や能舞台も完備されていたという。
「名護屋城址」碑。
東郷平八郎書の跡碑。
ちなみに秀吉の出身地である那古野と、
読みが一緒だった為に城地に選ばれ、
名護屋城となったようです。
廃城後に地名は元々の名護屋から、
名古屋と書かれるようになって、
後に正式に名古屋となっていたとのこと。
大正期に愛知県の名古屋との区別の為、
従来の名護屋に戻されたようです。
「天守台」。
金箔瓦の五層七階天守があった天守台。
現在も絶景が楽しめますが、
当時は七階から景色が望めたのでしょう。
これぞ天下の風景です。
天守より望む諸大名の陣屋跡。
名護屋城の周辺には諸大名の陣屋が建てられ、
これに伴って人々も集まるようになって、
さながら巨大な城下町という風でした。
そこに居るのが徳川家康、前田利家、
上杉景勝、加藤清正、福島正則、鍋島直茂、
伊達政宗、島津義弘、真田昌幸、九鬼重隆、
黒田如水、ets….ロマンしかありません。
南部信直、津軽為信、伊達政宗等、
東北の大名らも参陣していますが、
東北の人で九州に行った事ない人は、
今での普通にいる事でしょう。
僕の周りにも東北に行った事ない人は、
普通に沢山います。
それが大昔に遥々東北から大軍を率いて、
名立たる戦国武将がやってくるのですから、
戦国好きにはたまらないかもですね。
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豊臣秀吉が築城した巨大な城。