安政6年5月。
吉田松陰は幕府の召喚で江戸へ護送され、
取り調べの後に伝馬町で斬首されました。
その護送の途中の藩境で、
防長二国との決別を歌を詠んでいます。
「吉田松陰歌碑」「旧山陽道跡」説明板。
周防と安芸を隔てる小瀬川沿いにあります。
夢路にも かへらぬ関を 打ち越えて
今をかぎりと 渡る小瀬川
夢路にも帰らぬ・・と悲痛な感じですが、
この時点で死を覚悟していたとは、
到底思えません。
故郷で出る際の気持ちを、
多少ドラマチックに詠んだのでしょうが、
結果的に松陰は斬首されてしまったので、
この短歌が涙袖を誘うことになっています。
■関連記事■
・熊毛郡上関町 四階楼と吉田松陰詩碑
長崎に赴く途中の上関で詠んだ詩の碑。
・山口県萩市 明木橋/吉田松陰詩碑
萩に送還された際に詠んだ詩の碑。
・青森県東津軽郡 吉田松陰東北遊日記碑
津軽海峡の鋳釜崎に建つ松陰の日記碑。