嘉永5年3月5日夜。
袰月で宿を取った吉田松陰と宮部鼎蔵。
宿で津軽海峡とそこを通る外国船について、
日記に記しています。
その日記の一文を刻んだ碑が、
鋳釜崎に建てられています。
「袰月海岸 鋳釜崎」。
2時間サスペンスの終盤に登場しそうな崖。
特に訪問時は曇り空でしたので、
犯人が告白しそうな雰囲気でした(?)。
「東北遊日記碑」。
袰月宿で書いた日記の一文が刻まれています。
小泊、三厩の間、
海面に斗出するものを竜飛崎と為す。
松前の白神鼻と相距ること三里のみ。
而れども夷舶憧々として其の間を往来す。
これを榻側に他人の酣睡を容すものに
比ぶれば更に甚だしと為す。
苟も士気ある者は誰れか之が為に
切歯せざらんや。独り怪む、
当路者漠然として省みざるを。
訳:小泊村と三厩村の間の海に
突き出た岬が竜飛崎。
松前の白神鼻との距離は約12kmのみ。
しかし外国船は堂々と海峡を往来する。
自らの寝床に他人を熟睡させるより、
これは更にひどいことだ。
士気のある者は悔しく思っている筈。
私は独り考える。
何故、上の者は何もしないのだろう。
松陰の憤りが感じられる文ですね。
翌日、松陰と宮部は、さらに海岸線を進み、
平舘の砲台を巡見しています。
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