吉田松陰と宮部鼎蔵は津軽半島を北上。
十三湖の絶景を堪能した後、
小泊村に宿泊しました。
小泊村は権現崎という岬にあり、
その名称はアイヌ語で、
小港を意味するポン・トマリを語源にします。
「徐福像」。
権現崎には大陸より徐福が流れ着いてきて、
村人に農業や漁業、医療など、
技術指導したという伝説があります。
徐福についての伝説は日本中にありますが、
小泊の徐福伝説もそういった伝説のひとつ。
始皇帝に不老不死の薬を探すと援助を得て、
帰ってこなかったという伝説上の人物。
始皇帝を騙した大詐欺師ともされますが、
中国では[平原広沢の王となった]とされ、
その[平原広沢]が日本だという説もあり、
この為に日本各地に徐福伝説があります。
さて、嘉永5年3月4日。
中泊で宿を取った松陰と宮部。
その宿は大坂屋太田家という事なのですが、
ネットにも小泊のパンフにもその情報が無い。
中泊町役場小泊支所で聞いてみると、
そういう事に詳しい人に電話で聞いて頂き、
場所を教えてもらいました。
[碑があるらしいですよ]の事。
「吉田松陰・宮部鼎蔵 止宿跡」。
大坂屋太田家があった場所。
松陰と宮部はここで一泊しました。
googleMAPではまだ碑がありませんので、
最近設置されたもののようです。
支所の人も知らなかったし・・。
大坂屋を出た二人は海岸線を北へ向かいます。
小泊村の北東の山手には、
弘前藩が設置した台場がありました。
「小泊台場跡」。
赤い矢印のあたりに台場があったという。
現在は行ける道も無いようで遠くからの撮影。
松陰らは台場下の海岸線を通ったようです。
■関連記事■
・青森県五所川原市 吉田松蔭関連の石碑
五所川原市に点在する松陰の足跡。
・青森県北津軽郡 みちのく松陰道
松陰らは小泊から算用師峠を越えました。
・青森県弘前市 吉田松陰来遊の地 附松陰室
弘前で松陰らが訪問した伊東梅軒の旧宅。