谷中霊園にある玉乃世履の墓所。
体感ですが青山霊園は巨大な墓碑が多く、
谷中霊園はそれに比べて小さい気がします。
そんな中で玉乃世履の墓は見上げる程高く、
かなり目立った存在。
「大審院長従三位勲二等玉乃世履墓」。
玉乃は岩国領吉川家家臣桂脩助の子で、
藩校養老館… 続きを読む
東京都台東区 谷中霊園/玉乃世履墓所
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谷中霊園にある玉乃世履の墓所。
体感ですが青山霊園は巨大な墓碑が多く、
谷中霊園はそれに比べて小さい気がします。
そんな中で玉乃世履の墓は見上げる程高く、
かなり目立った存在。
「大審院長従三位勲二等玉乃世履墓」。
玉乃は岩国領吉川家家臣桂脩助の子で、
藩校養老館… 続きを読む
上越といえば真っ先に浮かぶのは、
やはり上杉謙信の春日山城。
実は20年以上も前に、
一度上越市に来た事があるのですが、
上越市に高田城という城があった事を、
全く知りませんでした。
※当時はそれほど歴史に興味が無かった為。
上杉謙信については子供の頃から好きな武将で、
謙信のお膝元に来たと喜んだ記憶がありますが、
もちろんその当時は仕事で来たので、
何処にも観光していませんし、
春日山城跡にも行っていません。
そんな薄い思い出の上越市ですが、… 続きを読む
山口県と広島県を隔てる小瀬川。
長州藩(岩国領)と芸州藩の藩境でした。
幕長戦争の芸州口の戦い(芸州戦争)の初戦。
先鋒の彦根藩と与板藩、高田藩… 続きを読む
苦の坂は西国街道の難所のひとつ。
小方町小方周辺。緑の線が街道筋。
木野側に四町九間(4513m)の急坂があり、
防州側に対する防備に適していました
慶応2年6月13日。
長州征討軍先鋒の彦根藩兵と与板藩兵は、
岩国領との国境である大竹村に布陣。… 続きを読む
大野村にある名滝[妹背の滝]。
そこから西教寺までは[滝の下]と呼ばれ、
芸州戦争の激戦地となった場所でした。
そこに戦死した幕軍を埋葬した塚があります。
※山陽自動車道大野ICから100m程の場所。
「長州戦争史跡 千人塚」。
千人塚という名称ですが、
千人も埋められている訳ではありません。… 続きを読む
西国街道の難所廿日市市の四十八坂。
当時の主要道路のはずなのですが、
まるでけもの道のようです。
「西国街道(四十八坂)」。
確かに難所。
本当に大名行列か通ったのかなと思う程。
当時はもっと人の往来も多くて、
もうすこしマシだったのかもしれませんが、
それほど劇的に違うとは思えませんので、… 続きを読む