龍文寺は周南市長穂門前にある曹洞宗寺院。
陶盛政により建立された陶氏の菩提寺で、
陶氏の繁栄と共に寺運も隆盛しました。
西国の曹洞宗寺院を管轄する大寺院となり、
永平寺と同じ[吉祥山]の山号を称し、
10代陶晴賢が毛利元就に敗れ滅亡した後も、
毛利家の庇護下で隆盛し続けています。
明治13年に火災で伽羅は焼失しており、
本堂等はその後の再建とのこと。
「山門」。
平成14年再建の山門。
山門は火災の際に被害を免れましたが、
老築化の為に建て替えられました。
非常に立派な山門です。
「本堂」。
明治14年再建の本堂。
こちらも非常に立派なもので、
焼失後すぐに再建されています。
「陶氏墓所」。
裏手の山内にある陶氏の墓所。
龍文寺の墓地は山内に広がっていましたが、
隣接するゴルフ場の建設により、
ここに集められたようです。
「龍岩慶舜禅定門(右)」、
「歓室永喜大姉(中央)」、
「花隠童女(左)」。
風化や破損により殆どの墓石は、
被葬者が判らなくなっているという。
中央の歓室永喜大姉が9代陶興房の室。
「〇國瑞兼居士(中央)」。
岩見益田家15代当主益田兼堯の墓。
陶氏墓所で名前が特定されているのが、
益田家当主というのも不思議ですが、
これは陶家が滅亡した事が原因でしょう。
兼堯は8代陶武護の正室の父だった為、
その死後に供養塔が建てられた模様。
ちなみに〇部分は兼堯の戒名から、
[全]であると思われます。
■関連記事■
・山口県山口市 正護寺
陶家の祈願所だった臨済宗寺院。
・広島県廿日市市 洞雲寺
陶晴賢の墓所がある曹洞宗寺院。
・島根県益田市 益田兼堯墓所
益田市にある益田兼堯の本墓。