山口県防府市 伝毛利時親卿墓

毛利時親鎌倉末期南北朝時代の武将で、
毛利宗家3代当主で安芸毛利氏の祖
越後佐橋荘南条安芸吉田荘の地頭となり、
河内国の邸宅に住んでいたようですが、
南北朝の争乱で安芸国に下向し、
安芸国で毛利家の勢力を拡大させました。

時親は建武4年(1337)に死去し、
曾孫毛利元春へ吉田荘を譲っており、
暦応4年(1341)に死去。
墓所は吉田荘の大通院とされていますが、
後に時親の墓が周防国で発見されています。

この墓の存在は知っており、
一度訪問を試みてみたのですが、
国道2号線の拡張工事で発見出来ずでした。
今回はその無念を晴らすべく再度訪問。
どうも移設して整備されたようで、
目立つ場所に置かれていました。


傳説 毛利時親郷墓」。
墓石は江戸後期に付近の畑で発掘され、
表に[大江時親]、裏に[了禅]と刻まれており、
毛利家により時親の墓と断定されました。
※時親の戒名は了禅大禅定門
明治40年に毛利宗家によって、
墓地が整備され祠が建てられたようです。


大江時親」。
祠の中には宝篋印塔が納められています。
時親は元春に家督を譲った際に、
西へ向かったともされていますので、
時親はこの地で死去したのかもしれません。

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