天王寺区生玉町にある生國魂神社前に、
川崎孫四郎の自刃の地があります。
「川崎孫四郎自刃の所(左)」、
「贈正五位島男也之旧居(右)」。
川崎孫四郎自刃の所碑及び、
島男也の旧居跡碑。
ここは参道横にあった島男也の旧宅跡で、
川崎孫四郎が自刃した場所です。
川崎は家老安島帯刀の従者だったようで、
安政の大獄で主人が切腹となると、
大老井伊直弼の暗殺計画に加担し、
大坂での薩摩藩との連絡を担当。
桜田門外の変後に高橋多一郎親子を匿い、
この島男也宅に潜伏さていせました。
しかし幕吏に察知されて宅を囲まれた為、
孤軍奮戦して高橋親子を逃がします。
致命傷を負った川崎は自刃しており、
幕吏に捕らえられて翌日死亡。
島男也は笠間藩出身の剣術家で、
示現流や北辰一刀流を学んていたようで、
剣術以外にも槍術、薙刀術、居合術等、
様々な武術を身に付けていました。
生國魂神社前に剣術道場を開き、
自ら編み出した[皇道剣法]を指導。
また佐久良東雄ら国学者と親交しており、
大坂に入った高橋親子を匿います。
やがて幕吏にこれを察知されて、
捕らえられて江戸に送られており、
伝馬町獄舎で獄死しました。
「生國魂神社」。
国土の神霊生島神及び足島神を祀る神社。
創建は神武天皇即位前という古社で、
元々は大坂城のある場所にあったという。
[いくたまさん]として親しまれており、
本殿は生國魂造と呼ばれる建築様式で、
この社独特の珍しい造りとのこと。
「米澤彦八の碑」。
生國魂神社は上方落語発祥の地で、
境内に小屋を建てて興行を行い、
ものまね芸で人を楽しませたとのこと。
ものまねしながら小咄を披露し、
咄の落ちに重点を置いていた事から、
上方落語の原型となったとされています。
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