高橋多一郎は桜田門外の変の首魁の一人。
安政7年3月3日に関鉄之介ら桜田烈士により、
大老井伊直弼の暗殺が成功しますが、
薩摩藩が暗殺と同時に挙兵を約束しており、
これと合流する為に大坂に潜伏していました。
高橋は薩摩藩の到着を待っていましたが、
薩摩藩は一向に現れる事は無く、
その潜伏地を幕吏に察知されてしまい、
四天王寺の寺役人小川欣司兵衛宅にて、
息子の高橋庄左衛門と共に自刃しています。
「正四位高橋多一郎
従四位高橋荘左衛門 原瘞処」。
四天王寺学園正門脇にある碑。
生国魂神社前にあった島男也宅から逃走し、
大阪府大阪市 川崎孫四郎自刃の所
四天王寺に逃げて来た高橋親子は、
逃げる途中で草鞋の紐が切れてしまい、
新しい草鞋を買おうと茶店春日屋に入ります。
しかし外を見ると幕吏が迫って来ていた為、
これまでと短刀を腹に突き立てますが、
春日屋の主人は「店先で切腹は迷惑」と、
高橋に言った為に、
高橋は「近所に武士の家は無いか」と問う。
主人に寺侍小川欣司兵衛宅の場所を聞くと、
そこまで行って在宅中の小川に座敷を借り、
後始末料62両を渡して父子共々切腹。
写真は高橋父子が最初に埋められた場所です。
「怨霊消滅」。
高橋多一郎と高橋庄左衛門の墓。
元三大師堂の脇にあるのですが、
お堂は保全修復工事中でした。
墓は小川によって建立されたようで、
墓碑には[怨霊消滅]と刻まれています。
どういう意味か判りませんが、
切腹する高橋の様子に恨みや未練を感じ、
怨霊となって出て来そうだったのでしょうか?
当時の墓石は破損が激しかったようで、
昭和62年に水戸市の有志により再建。
当時と同じく[怨霊消滅]と刻まれました。
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