玉泉寺は、日本で最初の米国領事館。
下田条約により、玉泉寺は米国人の休息所、埋葬所に指定されます。
また、日露和親条約の交渉地として利用され、ロシア高官や独商人なども滞在しました。
安政3年には米国総領事館となり、境内に星条旗が掲揚され、
2年10ヶ月間、外交交渉の舞台となっています。
「玉泉寺山門」。
階段下には「米国領事館」「露艦ヂアナ号水夫墓所」などの石碑が建っています。
「玉泉寺本堂」。
米国総領事館だった場所。
ハリスやヒュースケンがここに寝泊りしていました。
執務室や寝室として使った部屋が残っているそうですが、
今回は時間が無いので、本堂内には入りませんでした。
「牛乳の碑」。
牛の乳を飲む習慣の無かった当時の日本。
ハリスの為に和牛の乳を集めた事が知られていますが、
碑にはお吉が禁を犯して下田周辺の牛から乳を集めたと書かれています。
お吉がそんな事をしたかはわかりませんが、
牛乳を集めてハリスが飲用したのは事実ですね。
「日本最初の屠殺場の跡」と「牛王如来」。
牛乳を欲したハリスは、牛肉も食べたがった。
なんだかそう書くとハリスは相当わがままなんだろうなと思いがちですが、
食文化の違いは結構重要な要素ですよね。
外国に旅行に行くと、日本食が恋しくなるのは今の日本人と同じ。
特にご老体には辛かったでしょうね。
脱線しますが、食文化の違いといえばクジラやイルカ漁の件。
日本の食文化を否定して、自分達の価値観を押し付ける外国人がいますが、
当時、牛を食べる習慣の無かった人達が、
ハリスの為に屠殺を行って牛肉を提供した事を考えると、
なんとも了見の狭い話だなって思いますよね。
「米総領事館旗掲揚之地」。
この場所に星条旗が掲げられました。昭和2年に渋沢榮一らによって建てられた碑。
「ペリー艦隊乗組員5名の墓」。
下田条約により米国人の墓所と割り当てられた玉泉寺には、
ペリー艦隊の乗組員5名の墓が本堂北側にあります。
「露艦ディアナ号乗員の墓」。
ペリー艦隊乗組員らの墓と本堂を隔てて反対側に、
ロシア艦ディアナ号の乗組員の墓があります。
アメリカの墓と離しているのには意味があるのでしょうかね?
露艦ディアナ号は、安政大地震の大津波で下田湾で大破し、
修理のために戸田に回航の途中に沈没しました。
その際の犠牲者3名と、後に下田に入港したアスコルド号の乗組員1名が眠ります。
ディアナ号の犠牲者3人は、立派な墓が建てられていますが、
アスコルド号の1名は、何故か十字架のみで墓石は立てられることがなく、
長い間、氏名もわからない状態でしたが、岡山大学名誉教授保田孝一氏の調査で、
機関士フィリップ・ユーディンであることが判明したようです。
さて、この玉泉寺にお吉は勤めるわけですが、たった3日でクビになり、
その後、再度2ヶ月ほど努めています。
ちなみに玉泉寺にはお吉以外に「ふく」「さよ」「まつ」「きよ」という4人の女性が、
努めていますが、彼女らは何ら差別を受けたという文献は残されていません。
差別を受ける理由は、他にあったのかもしれませんね。
①/②/③/④/⑤/⑥
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