静岡県下田市 下田湊③/ハリスの小路と松陰上陸の碑

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初代駐日弁理公使タウンゼント・ハリスが、
下田赴任中に散歩したとして、
ハリスの小路と名付けられた道があります。
通商条約締結交渉中に胃潰瘍を患い、
望郷の思いにふけりながら歩いたという。


ハリスの小路」。
ハリスの他に松陰関係の碑もあるらしい。


素晴らしい眺めの海岸線。
確かに散歩には絶好の場所。


石炭積出桟橋跡」。
明治時代の海軍の石炭積み出し用の桟橋跡。


対岸に見える山は「寝姿山」。
下田の中心付近にある山ですが、
女性が仰向けで寝てる姿に見えるという。
・・見えなくもないかな?


至誠通天」碑。
小路の途中に設置された石碑。
誠を尽くせば、願いは天に通じる
の意で元々は孟子の言葉。
松陰はこの言葉を好んだとされます。


小路はずっと続きます。
途中に大戦で掘られた洞窟もありました。
本土決戦に備えて特攻機を隠したという。

・・・・これより長くなるので、
画像サイズを小さくます。

まだまだ道は続く・・・。
いつの間にかハリスの小路が、
松陰・ハリスの小路」になっています。
石畳の道はここで終了。
ここからは草の生えた土の道で、
松陰が密航に失敗した後に、
ボートで上陸した場所を目指します。


まだまだまだ続きます。


おいおい!先が見えないぞ・・・。
おかしいな・・道は合ってるハズ・・。


かなり歩いて土の道は終わり。
次はコンクリートの道。


防波壁沿いを歩く。


角に到着。まだ100mあるの??


こんなとこハリスは歩かなかったはず。

・・・で、車の通れる道沿いにありました。

吉田松陰上陸の碑」。
松陰らはUSSポーハータンから、
ボートでこの場所に降ろされます。
町から離れた場所に降ろしたのは、
逃げやすいようにという優しさから?
それとも船から近いからでしょうか?
上陸した松陰らはそのまま浜を歩き、
柿崎の名主増田平右衛門邸に自首しました。

目的地に着いたので来た道を引き返します。
入口までたどり着いた時には、
足がパンパンになってました。

あとで調べてみると、
上の地図の道だった事がわかりました。
車で行けるじゃん!
ものすごく騙された感じです。

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