初代駐日弁理公使タウンゼント・ハリスが、
下田赴任中に散歩したとして、
ハリスの小路と名付けられた道があります。
通商条約締結交渉中に胃潰瘍を患い、
望郷の思いにふけりながら歩いたという。
「ハリスの小路」。
ハリスの他に松陰関係の碑もあるらしい。
素晴らしい眺めの海岸線。
確かに散歩には絶好の場所。
「石炭積出桟橋跡」。
明治時代の海軍の石炭積み出し用の桟橋跡。
対岸に見える山は[寝姿山]。
下田の中心付近にある山ですが、
女性が仰向けで寝てる姿に見えるという。
・・見えなくもないかな?
「至誠通天」碑。
小路の途中に設置された石碑。
[誠を尽くせば、願いは天に通じる]
の意で元々は孟子の言葉。
松陰はこの言葉を好んだとされます。
小路はずっと続きます。
途中に大戦で掘られた洞窟もありました。
本土決戦に備えて特攻機を隠したという。
・・・・これより長くなるので、
画像サイズを小さくます。
まだまだ道は続く・・・。
いつの間にかハリスの小路が、
松陰・ハリスの小路になっています。
石畳の道はここで終了。
ここからは草の生えた土の道で、
松陰が密航に失敗した後に、
ボートで上陸した場所を目指します。
まだまだまだ続きます。
おいおい!先が見えないぞ・・・。
おかしいな・・道は合ってるハズ・・。
かなり歩いて土の道は終わり。
次はコンクリートの道。
防波壁沿いを歩く。
角に到着。まだ100mあるの??
こんなとこハリスは歩かなかったはず。
・・・で、車の通れる道沿いにありました。
「吉田松陰上陸の碑」。
松陰らはUSSポーハータンから、
ボートでこの場所に降ろされます。
町から離れた場所に降ろしたのは、
逃げやすいようにという優しさから?
それとも船から近いからでしょうか?
上陸した松陰らはそのまま浜を歩き、
柿崎の名主増田平右衛門邸に自首しました。
目的地に着いたので来た道を引き返します。
入口までたどり着いた時には、
足がパンパンになってました。
あとで調べてみると、
上の地図の道だった事がわかりました。
車で行けるじゃん!
ものすごく騙された感じです。
①/②/③/④/⑤/⑥
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