吉田松陰の浦賀行①

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吉田松陰ペリー浦賀に来航した際、
浦賀に赴いて見物しました。
今回はこれを追ってみようと思います。

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6月4日、晴。
渡邊春汀を訪ねるが不在。
※渡邊春汀は杵築藩の蘭医。
永原武を訪ねる。
長原武は松陰、宮部鼎蔵と共に、
 山鹿素水門下だった人物。

麻布藩邸に至り工藤新山に逢う。
桜田藩邸に帰り、道家竜助に逢って、
※道家竜助は長州藩砲術家。
邊警を聞き直ちに佐久間塾に行くが、
佐久間象山の私塾象山書院
佐久間塾生達は皆浦賀に行ったという。
追いかける為に急いで帰る。
6月4日、浦賀での情報が頻りに入り、
余は兵書を客と講じていた。
余は書を投げ捨てて起ち、
袂を振って出て浦賀に赴かんとす。
時は既に初夜となっていた。
※わざわざ2度出発までの事を記しますが、
 内容は後者の方がドラマチックで、
 詩的に修正したものと思われます。
 道家がペリー来航と伝えたとされますが、
 これを読む限り道家と兵書について語り、

 その際に来航の情報が入った模様。
鉄砲洲に至り舟を雇うが風は無く、
舟を出す事が出来なかった為、
数刻船宿で過ごして寅時に出航。
一里程進むと[]字を号とする船と遇い、
櫓を漕ぐ音が近づいてきた。
おそらく房総会津陣営で、
江戸に報を伝えに行くのだろう。
しばらくして夜明けとなるが、
風も潮も逆であった。
巳時にやっと②品川に達する。
そして上陸して疾歩すると、
偶然にも砲を打つ音が聞こえる。
これを静かに聴いてみれば、
大森で訓練をしているようだった。
更に進むと音も大きくなり、
人をして英気奮発せしむ。
[鼙鼓の聲を聞きて将帥の才を思う]とは、
本当の事であろう。
川崎神奈川を経由し、
保土谷で右折して金澤野島に至る。
野島には舟会所が置かれ往来へ接続する。
舟を雇い大津にいたる。舟程は3里。
猿崎の陰には列燈が多く見えるが、
おそらく不慮に備えるものだろう。
直ちに④浦賀に至るが既に夜巳に二更。
現地では状況を憂いているようだが、
騒動が起きるような気配は無い。
旅舎で関沢小林鐵五郎と会う。
設楽莞爾に聞くと3三日未時に、
賊船が来泊したという。
佐久間象山翁も門下の中尾定次郎らと、
昨4日の夜に来ていた。
曰く「この度の来航は邪心は無い、
船での警戒を解く事を請う
」。
奉行所はこれを受け入れたようで、
賊は本日上陸を果たしており、
その上陸を黙認した。
 蔦巣(川越) 亀崎(川越) 鳥崎(川越) 砲3門
 賊船 一隻十町、三隻八町、相距五町、
 野比口 長沢口(伯耆山) 津久井 上宮田(陣屋)
 菊名 松田 金田 松輪(大浦口/剣崎口)
 毘沙門 三崎
 ※警戒の陣営と賊船のメモ。


6月4.5日の行程。

つづく。
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