井筒屋小野家は元々は近江商人で、
高島郡大溝で問屋を営んでいましたが、
後に盛岡に出店して大店となり
京都や江戸にも進出した豪商。
初代小野新四郎の二男村井権兵衛は、
盛岡で酒造業近江屋を開業し、
兄小野善五郎の子らを盛岡に呼び寄せ、
盛岡での商業活動を活発に行います。
善五郎長男善助は盛岡で井筒屋を開業し、
手広い商売を行って後に京都に進出。
京都進出後の盛岡の井筒屋は、
善五郎四男清助が継いでいます。
近江屋は善五郎次男権右衛門が継ぎ、
京都に進出して鍵屋を開業し、
後に大和国郡山に井筒屋を開業しました。
こうして盛岡、京都、江戸、郡山と、
小野一族による流通形態が構築され、
江戸時代後期に大きく成長しています。
「井筒屋小野家(紺印)跡」。
岩手県中小企業団体中央会の敷地が、
井筒屋小野家の店舗があった場所。
盛岡の井筒屋は紺屋町にあった事から、
[紺印]と通称されていたという。
同様に宗家の京都井筒屋は[善印]、
郡山の井筒屋は[郡印]と称されました。
主に木綿商、質屋、酒造業を営み、
小野一族の分家の一端を担いましたが、
明治維新後に一族の経営を合併し、
小野組として商敵である三井家に対抗。
しかし政府の金融政策に対応出来ず、
明治7年に破産してしました。
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