渋民宿は奥州街道の宿場町ですが、
盛岡以北の宿場は参勤の大名も少なく、
※松前藩と八戸藩のみ。
発展した大きな宿場はありません。
盛岡市渋民駅周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが渋民宿跡。
「渋民宿跡」。
県道301号線を南北に伸びる街並み。
古い家屋は皆無のようです。
西側には岩手山が望めるのですが、
訪問時は夕方で逆光の為、
写真に撮る事は出来ませんでした。
「大塚屋駒井太兵衛宅跡」。
酒屋を営んでいた大塚屋ですが、
跡地を見ると最近まで営業していた模様。
現在は地域福祉事業所となっています。
「明治天皇渋民行在所」碑。
奥州巡幸の際に明治天皇は、
大塚屋で昼食をとったようで、
弁当が出されたとされています。
渋民といえば石川啄木の所縁の地。
啄木の父で僧侶の石川一禎は、
渋民村宝徳寺の住職となった為、
啄木は1歳で渋民に移り住みました。
周辺には啄木関連の史跡も多く、
地元の有名人として推している模様。
「啄木第一号歌碑」。
大正11年に建てられた第一号歌碑。
全国にある詩碑の中で、
この詩碑が一番最初のものとのこと。
やはらかに柳あをめる北上の
岸邊目に見ゆ泣けとごとくに
他にも多くの啄木史跡がありますが、
時間も無かった為にこれにて終了。
すぐに日が暮れました。
■奥州街道の宿場町
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奥州街道の93番目の宿場跡。