久留米競輪場の北西の林の中に、
幕末期の久留米藩重臣らの墓があります。
※正源寺墓地と表記されており、
正源寺が管理しているようです。
水野家は唐津藩寺澤家の家臣だった家で、
主家の断絶により浪人となり、
久留米藩2代有馬忠頼に取り立てられて、
馬廻衆200石として仕えた家。
後に中興水野政樹の功で加増され、
500石取りとなっています。
この水野家は初代水野政継より、
水野政愛、水野直政、水野正睦、
水野正武、水野政樹、水野正甫、
水野正芳と続きます。
「故大参事水㙒正名墓」。
尊攘派の首領水野正名の墓。
正名は重臣水野文三郎正芳の次男で、
眞木和泉らと共に行動を共にした為、
捕らえられて12年間投獄されており、
許された後は京都で活動しています。
学習院御用掛等を務めた他、
大宰府に下った五卿の警護を担当し、
後に五卿と共に京都に随行。
王政復古後は藩政を主導しており、
佐幕派を粛清して改革を行いますが、
久留米藩難事件で終身禁獄となって、
明治5年に弘前で獄死しています。
「水野又蔵源正剛墓」。
久留米藩士水野又蔵正剛の墓。
水野又蔵は高橋音人正武の次男で、
正名が久しく投獄されていた為、
正芳の養子となって家督を相続。
戊辰戦争では応変隊を総督として率い、
箱館まで戦っていますが、
明治2年に養父正芳の危篤を聞き、
横浜からの帰途中に海難事故に遭い、
遭難して死去しています。
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