福岡県久留米市 吉田博文墓所

久留米競輪場の北西の林の中に、
幕末期の久留米藩重臣らの墓があります。
正源寺墓地と表記されており、
 正源寺が管理しているようです。



吉田博文之墓
 配通多子之墓
」。
久留米藩重臣吉田博文夫妻の墓。
重臣水野文三郎正芳の三男に生まれ、
吉田俊喬の養子となって家督を相続。
水野正名と共に尊攘派として行動し、
[応変隊]の設立に尽力しました。
明治2年に兄正名が大参事となると、
小参事に抜擢されており、
明治3年には軍務総裁学校総督に就任。
しかし明治4年に久留米藩難事件が発生し、
これに連座して終身禁獄となり、
明治5年に獄死しています。

■関連記事■
福岡県久留米市 有馬蔵人家墓所
 久留米藩家老有馬蔵人家の墓所。
福岡県久留米市 水野正名墓所
 久留米藩家老水野正名の墓所。
福岡県久留米市 梅林寺/久留米藩有馬家墓所
 久留米藩有馬家の歴代墓所。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です