善導寺は戦国時代の兵火で焼亡し、
江戸時代に柳河藩初代田中吉政が再興。
後に吉政の跡を継いだ田中忠政により、
徳川家康の供養塔が建立されました。
「徳川家康供養塔」。
巨大な無縫塔型の供養塔。
何も刻まれていないようですが、
徳川家康の供養塔とされています。
家康は元和2年(1616)4月に死去しており、
忠政は7月にこの供養塔を建立。
往時は霊廟で覆われていたとのこと。
明治になって霊廟は取り壊されて、
この供養塔だけが残されました。
「田中吉政供養塔」。
柳河藩初代藩主田中吉政の供養塔。
吉政は慶長14 年(1609)に江戸へ向かう途中、
伏見にて62歳で病死しています。
吉政の遺骸は荼毘に付された後、
柳川の真勝寺に埋葬されましたが、
この善導寺にも供養塔が建てられました。
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