大頂寺の宮津市にある浄土宗の寺院。
宮津藩初代京極高知が香華院として建立し、
後に2代京極高広が現在地に移転させ、
正室寿光院、将軍徳川秀忠及び徳川家光、
そして自らの菩提寺としました。
「本堂」。
本堂は延宝8年(1680)の建立。
大頂寺は寺町で最も高台に位置する寺で、
宮津湾、天橋立を一望することができます。
歴代将軍の位牌が祀られているとのこと。
更に宮津藩本庄(松平)家の御霊屋もあり、
総漆塗の荘厳な造りであるとのこと。
時間があれば観たかった・・・・。
「徳川秀忠供養塔(右)」、
「徳川家光供養塔(左)」。
2代将軍徳川秀忠の供養塔及び、
3代将軍徳川家光の供養塔。
本堂より右奥に入るとあります。
※墓碑銘は読めませんでした。
京極高広の正室茶々姫は池田輝政の長女で、
2代将軍徳川秀忠の養女となっており、
その縁で義父の供養塔が建立されました。
同様に3代将軍徳川家光の供養塔も建てられ、
その位牌も祀られています。
以降歴代将軍の位牌が祀られるようになり、
京極家が改易された後も続き、
6代徳川家宣の位牌まで続きました。
「京極高知供養塔」。
宮津藩京極家初代京極高知の供養塔。
高知は京極高吉の次男に生まれ、
※母は京極マリア。
豊臣秀吉に仕えて信濃国飯田6万石を拝領。
関ヶ原の戦いでは東軍として参加し、
藤堂高虎と共に大谷吉継隊を撃破しました。
この功績から丹後国12万3000石を与えられ、
宮津を本拠として宮津藩を立藩。
元和8年(1622)に死去していますが、
領地は嫡男京極高広に宮津藩7万8200石、
三男京極高三に田辺藩3万5000石、
婿京極高通に峰山藩1万石に分けられてます。
※隣の小さな五輪塔は不明。
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