[山梔窩]は眞木和泉が謹慎させられ、
嘉永5年より9年9カ月を過ごした家です。
水田天満宮宮司の弟大鳥居理兵衛に預けられ、
大鳥居家の一隅に4畳半と3畳の家を建設。
これを[山梔窩]と称して移り住み、
安政元年より山梔窩塾を設立して、
子弟らに学問を教えていました。
「山梔窩」。… 続きを読む
「福岡県」カテゴリーアーカイブ
福岡県みやま市 九品寺/立花茂高墓所
九品寺は瀬高町本郷にある臨済宗寺院。
寺の由緒は調べても判明しませんが、
古い寺であることは確かなようです。
この九品寺に立花帯刀家の墓所があります。
「本堂」。
古そうですが改修もされいる模様。
由緒もわからないので築年も不明です。
藩政時代に矢部川の治水事業に貢献し、
大きな業績を残した父子の墓が、… 続きを読む
福岡県みやま市 引接寺/立花茂之墓所
引接寺は瀬高町下庄にある浄土宗寺院。
文明11年(1479)に僧喰虎を開基とし、
はじめ遍光山の山号で創建されました。
瀬高地域の念仏根源として栄えますが、
享保17年(1732)の大火で全焼。
伽羅や寺宝を全て焼失しますが、
立花帯刀家3代立花茂之の援助により、… 続きを読む
福岡県みやま市 立花帯刀家墓所
立花帯刀家は柳河藩家中最高位の家格で、
立花内膳家と共に御両家と呼ばれました。
柳河藩2代藩主立花忠茂の三男立花茂虎は、
長兄、次兄が早逝していたにも関わらず、
実母が側室であった為に継嗣とはならずに、
継室の子四男立花鑑虎が家督を相続。
隠居した忠成は茂虎の行く末を案じ、
京都… 続きを読む
福岡県みやま市 原町宿跡
原町宿は薩摩街道の5番目の宿場で、
柳河藩領となっていたようです。
藩は領内の5つの町を五ヶ町として指定し、
※瀬高町、三池町、江浦町、原町、野町。
商人、職人の町としていますが、
この原町もその五ヶ町のひとつでした。… 続きを読む
福岡県みやま市 松風の関跡
松風の関は筑後国と肥後邦の国境で、
両国を結ぶ唯一の街道が通っていた場所。
※薩摩街道、豊前街道と呼ばれますが、
当ブログでは薩摩街道としています。
「松風の関跡」。
ネットでいくつか散見されるのは、
[幕府直轄の関所が置かれた]とのことですが、
色々と調べるとどうも違うみたいです。
南に南関という… 続きを読む
福岡県大牟田市 立花内膳家墓所
立花内膳家は柳河藩家中最高位の家格で、
立花帯刀家と共に御両家と呼ばれました。
三池藩藩祖立花直次の三男立花政俊は、
島原の乱で甥の立花種長に代わり、
三池藩兵95名を率いて奮戦。
この功で2000石を与えられますが、… 続きを読む