福岡県筑後市 山梔窩

[山梔窩]は眞木和泉が謹慎させられ、
嘉永5年より9年9カ月を過ごした家です。
水田天満宮宮司の弟大鳥居理兵衛に預けられ、
大鳥居家の一隅に4畳半と3畳の家を建設。
これを[山梔窩]と称して移り住み、
安政元年より山梔窩塾を設立して、
子弟らに学問を教えていました。


山梔窩」。
現存する眞木の寓居[山梔窩]。
眞木保臣没後に建物は橋本久次が購入。
約50m離れた東側に移築され、
民家として使われていたとのこと。
後の明治45年に真木保臣顕彰会が発足して、
建物の保存や顕彰碑建設計画が開始。
購入者の孫橋本丑太郎もこれに賛同し、
民家となっていた[山梔窩]を提供しました。
大正3年に元の場所に戻そうとしますが、
既に私有地として使用中だった為に、
東隣の土地を購入して[山梔窩]を移築。
後の昭和12年(1937)に元の場所が空いた為、
[山梔窩]を元あった場所に戻されています。
田中河内介平野国臣清河八郎宮部鼎蔵
山本実伊牟田尚平水野又蔵等、
多くの志士が[山梔窩]を訪問。
文久2年2月に同志らと討幕挙兵を行う為に、
眞木は[山梔窩]を脱出しました。


真木和泉守謫居之處」。
大正3年に建てられた記念碑で、
昭和40年に現在の位置に移動されています。

眞木は薩摩藩を経て大坂から伏見に至り、
寺田屋で薩摩藩の同志と集結しますが、
そこで寺田屋事件に遭遇。
薩摩藩士の同士討ちで義挙は失敗し、
眞木は久留米に戻り再び謹慎となりました。

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