徳雲寺にある井上伝の墓。
井上伝は久留米絣の創始者で、
久留米絣は伊予絣、備後絣と共に、
日本三大絣の一つとして知られ、
久留米藩の貴重な特産品でした。
その特徴は柄のにじみやかすれで、
藍と白に染め分けた糸を製織し、
独特な文様を造り出しており、
その技法は12歳当時の伝が創始。
彼女の造り出す織物の美しさは評判となり、
その弟子は3400人を超えていたという。
「久留米絣始祖井上傳子之墓」。
非常に立派な井上伝の墓。
久留米絣を全国に広めた商人達が建てたもの。
伝は米穀商橋口屋平山源蔵の娘に生まれ、
7歳の頃から織機を習い始めたとされ、
12歳の頃に独自の絣の図案を考案しました。
21歳で井上八次に嫁ぎ二男一女を儲けますが、
八次は伝が28歳のときに病死。
3人の子供を育てながら久留米絣を売り出し、
これが瞬く間に評判となっています。
伝にその技法を習う弟子も増え続け、
多くの弟子達が久留米絣の生産を行い、
久留米絣は藩の特産品となって発展。
晩年は実家近くに工場を設けたり、
久留米絣の出張教授をしたりしました。
明治2年に82歳で死去。
「久留米絣始祖井上伝女」胸像。
墓所前にある井上伝の胸像。
五穀神社にも伝の胸像があるらしい。
久留米周辺の婦子女のいる農家では、
機織の響きを聞かない家はないとされ、
盛んに絣が織られたとのことで、
その原点が井上伝だったようです。
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