山口県萩市 江崎浦

江崎浦は深い入江の奥にある天然の良港で、
阿武郡18郷の米積出港となっていました。
北前船西廻航路が開設されると、
商業港としても重要性を増し、
寄港誘致の為に定期的に芝居が開かれ、
更に津和野藩に港の使用を許可した為、
長州藩、津和野藩双方の御蔵が建ち並び、
大きく発展を遂げています


御国廻御行程記 江崎」。


江崎浦」。
山陰本線開通により商業港の役割を終え、
以降は漁港として発展。
特産品の[煮干いりこ]が作られた他に、
等が水揚げされたようです。


西堂寺六角堂」。
応永年間(1394-1428)に創建された西堂寺
江崎浦の入口に位置する曹洞宗寺院で、
大内家毛利家の祈願所として庇護されました。
六角堂地蔵堂とも呼ばれる六角形のお堂で、
元禄9年(1695)の再建された際、
強い海風に耐えられるよう設計されたもの。
江崎浦のシンボルでもあります。


江崎の街並み」。
港を囲むようにコの字に連なる街並み。
古い港町の雰囲気が残っており、
商家も多く現存しています。


旧大中屋田村家邸」。
浦年寄を務めた大中屋田村家の旧邸。
伊能忠敬吉田松陰が宿泊したとのこと。
現在は豊田物産の所有となっており、
漬物製造販売等を行っているようです。


教専寺」。
国道191号線沿いの真宗本願寺派寺院。
埋葬された母から生まれた大厳和上が、
最後に住職となって没したお寺です。
大厳は仏学の他にも漢学儒学等を学び、
特に易経に精通していたとのこと。
萩城下で論語易経の講義も行っており、
これに藩士や子弟が聞きに行ったので、
藩校明倫館の授業も中止になったという。
松陰の母タキは大厳の説法を何度も聞いており、
松陰自身も大厳の人柄と博学を称えました。
また教専寺は藩主の領内巡見の際には、
本陣として使用されています。

吉田松陰は嘉永2年6月28日~7月1日頃に、
海防視察の為に江崎浦を訪問したようで、
上記のように大中屋に宿泊していますが、
正確に日にちは判っていないようです。

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 吉田松陰が江崎浦を訪問。
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